—失われた草原の声を取り戻すために
私は長い間、草原(牧草地)という生態系の大切さを話し続けてきました。
そして、みなさんの中には、牧草地を大切にする私の立場をご存じの方も多いと思います。
しかし世界を見渡すと、依然として政策もメディアも、そして一般の自然観までもが、
「森林こそ守るべき自然」
という前提で動いています。
もちろん、森林は美しく、重要です。
ただし、問題はそこではありません。
「草原も、同じくらい重要なのに、なぜほとんど顧みられていないのか?」
この問いが、今回のシリーズの出発点になります。
■ なぜ森林だけが「自然の象徴」になったのか?
実はこの固定観念には、深い歴史的背景があります。
19世紀ヨーロッパの自然観は、「氷期後のヨーロッパは本来、深い森林に覆われていた」という前提に基づいていました。
このヨーロッパ中心の自然観が、のちの
- 科学の言葉
- 政府の政策
- 環境教育
- 国際保全基準(REDD+など)
にまで影響を与えたのです。
その結果、世界は無意識にこう考えるようになりました。
森林=自然の理想形
草原=森林が失われた結果の劣化
皆さんは既にお気づきの通り、これは事実ではありません。
■ 草原は「本来の自然生態系」
火と草食動物が作る、太古からの風景
私が草原を支持する理由の1つは、
草原は「本来の自然」に分類される堂々たる生態系であることです。
草原は、
- 火(自然火災)
- 大型草食動物(バイソン・ヌー・ウマ・シカ等)
の両方によって維持される「撹乱依存型」の生態系。
つまり、草原は
「火も放牧もない状態が自然」ではなく、
「火と放牧がある状態が自然」
なのです。
この視点を持たない限り、草原は永遠に「森林の未熟形」として誤解され続けます。
■ 目に見えない草原の価値:
人類は草原で進化し、草原で生きてきた
そして、これは私がよくお話しする視点ですが…
人類は草原の生き物です。
- 二足歩行は草原で遠くを見渡すため
- 体毛が薄いのは、草原での持久走に適応した結果
- 脳が大きくなったのも、草原での狩猟と協力行動が要因
森林ではなく、
草原と森林が混ざるモザイク地帯が、私たちを「人間」にした環境です。
だからこそ、私は草原を語るとき、どこか「原点に帰る感覚」があるのです。
■ ではなぜ草原は守られないのか?
理由は明確です。
1. 見た目の問題
森は「濃くて豊かに見える」。
草原は「空いていて寂しく見える」。
しかし、空いていることこそが草原の機能です。
2. 生物多様性の誤解
森=豊か、草原=単純
というのは誤りで、
草原には草原にしか存在しない固有種が多数います。
3. 政策と経済が森林偏重
CO₂クレジットも、保全政策も、多くは
「木があることを価値化する」
仕組みになっています。
草原の炭素は土の中に隠れており、
「見えないものは評価されにくい」
という現実があるのです。
■ 今、必要なのは「自然観のアップデート」
森林か草原か、どちらが上かではありません。
本当に大切なのは、
その地域が何万年もかけて育ててきた本来の生態系を尊重すること。
森林には森林の価値があり、
草原には草原にしかない価値があります。
そして今、そのバランスは
世界的に大きく森に偏っています。
草原の声が聞こえていないのです。
■ だから私は「草原を語る」
このシリーズは、単に生態学を紹介するだけではありません。
あなたが普段感じている疑問や、生活科学の視点と結びつけ、
「自然そのものをもう一度とらえ直す旅」にしたいと思っています。
次回は、
「草原は本当に劣化した森林なのか?」
という根本的な問いに踏み込みます。
火と草食動物がつくる「動的な自然の美しさ」を、一緒に見ていきましょう。