他国との比較から見える「隣の芝生」事情

「隣の芝生はいつも青く見える」という感覚は、国々を見比べるときにも同じです。

日本のメディアを見ていると、確かに課題は山積してることが伝わってきますが、比較されているアメリカや北欧、シンガポールなど他国のキラキラしているところの影には、彼らにも苦しみがあります。

その事を知ると、不思議と安心したり、やっぱり日本でよかった、と思うこともあるのかもしれません。

誰もが自分に合った困難を抱えて懸命に生きているのだと。

アメリカ ― 恩恵と分断の移民社会

長年住んできたからこそ、アメリカの現実はよく見えてきます。

移民社会は多様性と自由をもたらしましたが、その裏には深刻な課題も潜んでいます。

移民社会の恩恵と分断

自由な移動、多文化の共存がアメリカの強みです。

しかし同時に「階級の固定化」「医療へのアクセス格差」「銃社会による不安」が日常の影を落としています。

競争社会の虚しさ

「努力すれば報われる」という理念は健在ですが、成功する人とそうでない人の格差は大きく開いています。

誰にも見てもらえない、支えてもらえないと感じる層も少なくありません。

北欧諸国 ― 憧れと現実のギャップ

これまでの人生であまり縁がなかった北欧。

そのため、福祉国家としての輝きが倍増して見えるのも事実です。

ですが、理想郷のように見える社会にもまた現実の難しさがあります。

高福祉の代償

医療や教育、社会保障は世界屈指の水準。

しかしそれを支えるために税負担は重く、移民受け入れに伴う社会的摩擦も表面化しています。

経済停滞や移民排斥の空気は、ニュースでは語られにくいがゆえに、伝わってきにくい現実です。

閉じた社会のプレッシャー

一見「自由な社会」に見えても、少数派や異なる価値観を持つ人々にとっては同調圧力が強く、アイデンティティを保つのが難しいと感じる若者もいます。

シンガポール ― 輝く成功の裏に潜むプレッシャー

この記事はもともとシンガポールについて描こうと思って書き始めました…また大きく脱線してしまいましたが戻ってこれてよかったです。

経済的成功と国際的地位

シンガポールは1990年代後半から2000年代初頭にかけて一人当たりGDPで日本を追い越し、今ではアジアでトップクラスの富裕国となりました。

世界銀行やIMFの統計でも、購買力平価ベースでは世界一の水準に達しています。

都市国家の効率性、清潔で安全な街、港湾と金融の国際拠点としての地位は、外から見ればまさに「理想の成功モデル」です。

教育制度に根付く序列化

しかしその裏では、子ども時代から強烈な競争が存在します。

小学校修了時に全員が受験する全国試験 PSLE(Primary School Leaving Examination) は、中等教育以降の進路を大きく決定する仕組みです。

政府は近年「Full Subject-Based Banding(フルSBB)」を導入し、従来の Express / Normal(A) / Normal(T) といった一括の「ストリーミング」を緩和しましたが、それでも依然として早期に学力で分類されるプレッシャーは大きいのが実情です。

家庭は私教育(塾・家庭教師)に多額の費用をかけ、子どもたちは常に比較される環境に置かれています。

正直に言えば、受験のための勉強をほとんどせず、その都度「受かったところに進む」ようにしてきた私にとっては、小学校の時代から受験勉強に追われることには強い違和感があります。

せめて小学生くらいまでは、野山を駆け回って過ごしてほしい――そんな偏見が自分の中にはあるのです。

就職・キャリアに続く競争社会

PSLEだけでは終わりません。ポリテクニック、大学、Institute of Technical Education(ITE)などの進路ごとに「就職率」「初任給」が公開され、学校や専攻ごとに序列が生まれます。

中年期には Career Conversion Programmes (CCP)SkillsFuture を通じてリスキリングが奨励されていますが、それもまた「常に競争から脱落しないための仕組み」として機能しています。

管理された多民族主義とアイデンティティの揺らぎ

シンガポール社会は安定していますが、それは制度による厳密な多民族管理の成果でもあります。

国民は CMIO(Chinese, Malay, Indian, Others)モデル で分類され、公営住宅(HDB)では「Ethnic Integration Policy(EIP)」によって各民族の比率が制御されています。

さらに、宗教的対立を防ぐための Maintenance of Religious Harmony Act(MRHA) が設けられています。

これらの制度は秩序維持に効果的ですが、若者にとっては「自分はどこに属しているのか」というアイデンティティの揺らぎをもたらすことがあります。

学校教育では英語を主要言語としつつ「母語」も義務付けられますが、家庭で使う言語と必ずしも一致しない場合があり、自己定義は複雑です。

母語制度と異民族間家族が抱えるジレンマ

シンガポールは「英語+母語(Mother Tongue Language, MTL)」という独自の教育制度を持っています。

英語を共通語としつつ、それぞれの民族にルーツを保たせるために、華人は中国語(マンダリン)、マレー人はマレー語、インド系はタミル語(または認可されたインド諸語)が「母語」として割り当てられます。

憲法上の「国語」はマレー語ですが、実際には「民族ごとに異なる第二言語」が制度的な母語として扱われているのです。

しかし、この制度は若者に少なからず葛藤を生みます。

たとえば、家庭で祖父母と福建語や広東語を話している華人の子どもが、学校では「母語」としてマンダリンを学ばなければならない。

本人にとっての「本当の母語」と「制度上の母語」が食い違うことで、「自分のアイデンティティはどこにあるのか」という問いが生じやすいのです。

さらに複雑なのは、異民族間の家族が増えている現代のシンガポールです。

両親が異なる民族の場合、原則として子どもの民族登録と母語は父親の側に基づいて決められます。

たとえば、父が華人、母がマレー人であれば、子どもは「華人」として登録され、母語は中国語になります。

もっとも、家庭の事情を考慮して教育省に申請すれば、母親の側の言語を子どもの母語に選択することもできます。

しかし制度が父方を基準に設計されている以上、家庭の実態や子どもの言語環境とずれが生じやすいのです。

こうした背景から、シンガポールの若者には「家庭で慣れ親しんだ言葉」と「学校で学ぶ母語」が一致しないケースが多く見られます。

それは単なる学習の負担にとどまらず、自己定義や文化的アイデンティティを揺さぶる体験にもなります。

異民族家庭で育つ子どもにとっては、「自分はどの文化に属するのか」を常に問われることになり、社会全体が求める「CMIOモデル」(華人・マレー人・インド人・その他)という単純な分類と、自分自身の複雑なルーツとの間にギャップを抱えることになるのです。

この「母語制度と異民族間家族のジレンマ」は、秩序維持を制度的に追求してきたシンガポールの強さの裏返しでもあります。多民族を安定的にまとめ上げるために作られた仕組みが、同時に若者に新しい種類のアイデンティティの悩みを突きつけているのです。

幸福度と精神的ストレスのギャップ

国際的な「世界幸福度報告」では、シンガポールはアジア上位にランクインし、治安や経済的安定は高く評価されています。

しかし、国内調査によれば若者の約3人に1人が強い精神的不調を経験しているとされ、SNS依存や教育・就職競争がその背景にあると報告されています。

宗教は仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など多様ですが、米国のような「教会共同体」が人々をつなげる文化は薄く、合理性と効率性が勝る都市社会の中で「生きがい」を見出しにくいのです。

競争とつながり ― 人間社会の脆さ

人間は生物学的に「社会的動物(social animal)」であり、精神的な安定はつながり(belongingness)によって支えられているとされます。

心理学においても「所属の欲求(need to belong)」は、食欲や睡眠欲と同じく基本的な人間の欲求のひとつに数えられています。

仲間とのつながりが心の拠り所となり、自己肯定感や生きがいの感覚を形づくっていくのです。

競争が優先される社会

ところが、社会の中で競争が過度に優先されると、このバランスは大きく崩れます。

シンガポールのように教育・就職・生活のあらゆる場面が序列化され、常に「勝つこと」「比較に勝ち残ること」が重視される環境では、他者を仲間としてではなく、ライバルとして見やすくなります。

協力よりも競争、共感よりも評価が前に出る社会では、人と人との間の絆が希薄化していくのですね。

つながりの希薄化

本来、人間は「一緒に困難を乗り越える仲間」として集団を築いてきた存在です。

しかし、競争が生活の中心に据えられると、安心感や信頼を育む場が奪われてしまいます。

孤独感は高まり、失敗したときに頼れる相手もいない。

そうした状況が続くと、個人は心のよりどころを見失い、精神的に追い込まれていきます。

精神的崩壊のリスク

孤独や比較による自己否定が長く続くと、うつ、不安障害、自殺リスクが増大することは、各国の研究で繰り返し示されています。

特に若者や男性に顕著であり、社会の中で役割やアイデンティティを確立できないまま「自分には価値がない」と感じやすくなるのです。

やがては「生きがいの喪失」へとつながり、社会全体に深刻な影響を及ぼすことになります。

効率と豊かさの代償

シンガポールは一見「完成された都市国家」に見えます。

しかしその輝きの裏には、PSLEやSBBに代表される教育序列化、就職・キャリアにおける競争の連鎖、CMIOやEIPといった多民族管理の制度がもたらすアイデンティティの揺らぎ、幸福度とメンタル不調のギャップという課題があります。

効率と豊かさを追求する社会で、どう人々の心に意味と安心を与えるか――それがシンガポールの最大のチャレンジではないでしょうか。

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