—火と草食動物がつくる「動的な自然」の美しさ
前回、世界が森林ばかりに注目してしまう「森林偏重の歴史」についてお話ししました。
では、最も根源的な誤解…
「草原は森林が失われてできた『劣化した姿』なのでは?」
という問いに、ここでしっかり向き合いたいと思います。
結論から言えば、答えは明確です。
草原は劣化した森ではありません。
草原は『独立した自然生態系』であり、火と草食動物によって維持される『完成された姿』です。
私はこの事実を知って以来、人間の自然観がいかに一面的であったかを痛感してきました。
■ 草原は「火」と「草食動物」でできる自然
—木がないことに「意味がある」世界
まず、草原を語るうえで欠かせない前提があります。
草原は「火が来ること」を前提に進化してきた生態系
- 夏季の雷による自然火災
- 大型草食動物の群れ移動と踏みつけ
- 冬季の乾燥と強風
- そして人類以前から行われてきた「火入れ」文化
これらはすべて草原の一部です。
森なら火は「破壊」ですが、
草原では火こそ「更新」であり、次の命を生み出す合図。
燃えた後の黒い大地から、新芽が一斉に伸び、
栄養価の高い若草を求めて大型草食獣が集まる。
ここに「生命のリズム」があります。
■ 森林と草原は「戦っていない」
—両者の境界線には「進化の物語」がある
森林と草原は敵同士ではありません。
むしろ世界の自然は、
「森林と草原が混ざったモザイクの風景」
こそ本来の姿でした。
- 日当たりの良い斜面:草原
- 湿り気のある谷:森林
- 中間帯:疎林(サバンナ)
- 火が頻発する高原:草原
- 火の来ない窪地:森林
この「絶妙なバランス」が、多様なニッチ(生息環境)をつくり、
進化が加速する舞台となりました。
森林も草原も、その地域の気候・土壌・動物・火がつくりだす自然現象。
どちらかが優れているのではなく、
その場所ごとに最適な「自然の姿」があるだけなのです。
■ 草原を「人為的な二次景観」と誤解してしまう理由
日本でもそうですが、世界中で草原が軽視される理由のひとつは、
草原が『人が手を入れて維持している』ように見える点です。
- 火入れ文化
- 放牧
- 牧草地の管理
これらがあるために、
「自然が放っておけば森林になるはずだ」
という思い込みができてしまう。
しかし真実はまったく逆です。
火と草食動物の両方が失われたときに「異常に」森林化が進む。
つまり、
森林化こそ自然の劣化である場合があるということ。
これは、皆さんなら直感的に理解できるはずです。
■ なぜ草原は「自然」なのに『自然ではない』と誤解されるのか?
その理由は、
自然を「動きのない静止画」として見るか、
それとも「ダイナミックなプロセス」として見るか
の違いです。
多くの人は森を見て「豊かだ」と思う。
なぜなら、森は「静的でわかりやすい」から。
一方で草原は、
- 火が入り
- 草食獣が移動し
- 地下根が伸び
- 毎年の循環で変化する
「動的な自然」です。
動いているからこそ理解されにくい。
動いているからこそ誤解される。
しかし動いているからこそ、
草原は強く、しなやかで、地球のレジリエンスを支える存在なのです。
■ 火と草食動物を失った草原はどうなるか?
答えは簡単です。
ゆっくりと木が侵入し、森林化していく。
それは「自然に戻る」ことではなく、
その地域が持つ本来の生態的プロセスが壊れた結果です。
- 大型草食獣の絶滅
- 放牧文化の消失
- 火を恐れる現代人の価値観
- 転換農地・都市化
- 気候変動による乾燥強化
これらが作用すると、草原本来のダイナミズムが止まり、
「静止画のような森」が侵入してしまう。
草原は「手を入れないといけない自然」ではありません。
本来の自然プロセス(火・放牧)を取り戻す必要がある自然です。
■ 草原は「戻す」ものではなく、「守る」もの
草原は、森の劣化形ではなく、
地球が太古から保持してきた「もう一つの自然の完成形」です。
そして草原には、
森林とはまったくちがう価値があります。
- 地下深くに蓄えられた巨大な炭素ストック
- 適応力の高い植物群
- 高い草原特異的多様性
- 火と草食動物の共同進化
- 人類の進化を支えた風景
- 気候変動に強いレジリエンス
この価値は、木が生えていないから多くの人に気づかれません。
■ 次回:草原は「地球最大の炭素倉庫」だった
次の記事では、
「草原は森林と比べて炭素が少ない」という最大の誤解
を取り上げます。
実際には、
地球の陸上炭素ストックの1/3が草原にある。
そしてその炭素は火災でも失われない「超安定炭素」。
これを知ると、
世界のCO₂政策がいかに森林偏重であるかがはっきり見えてきます。
次回、草原の「見えない炭素の秘密」を一緒に深掘りしましょう。