近年、世界ではアルコールに対する見方が急速に変わりつつあります。
アメリカでは、飲酒率が過去90年で最も低い水準に下がり、
「適度な飲酒でも健康に悪い」と答える人が半数を超えました。
公衆衛生当局はがんや認知症との関連を警告し、
サージョンジェネラル(米国保健総監)は「アルコール警告表示」の導入を提案しています。
もはや「お酒は百薬の長」と言い切る時代ではなくなったのかもしれません。
確かに、アルコールの過剰摂取が健康を損なうことは明白です。
しかし、だからといって「アルコール=毒」と単純に括ってしまうのも、
どこか人間の営みを平板にしてしまう気がします。
そもそも、私たち人類はいつから「酔う」ことを知ったのでしょうか。
なぜ、世界のほとんどの文化に「酒」という共通の象徴が存在するのでしょう。
現代の科学が見落としがちなもう一つの観点――
それは、アルコールと人類が共に歩んできた進化の歴史です。
そこには、単なる嗜好や依存ではなく、
「代謝」と「自然」と「生命のリズム」をめぐる深い物語が眠っています。
この章では、アルコールをめぐる最新の科学的知見を紹介しつつ、
一方で「私たちはどうやってここまで「酔う身体」を進化させたのか」をたどっていきます。
そして最後には、アルコールを「避ける」か「親しむ」かという二択を超えて、
「自分の身体とどう向き合うか」という視点に立ち戻ってみたいと思います。
はじまりは発酵果実の森から
森の中で熟した果実が地面に落ち、太陽の熱でゆっくりと発酵していく。
そこには、わずかに甘く、どこか懐かしい香りが漂っています。
この香りに引き寄せられて近づくのは、人間だけではありません。
オランウータンも、チンパンジーも、そして古代の人類も、
その匂いの中に「栄養」と「快楽」の両方を感じ取っていたはずです。
果実が自然発酵すると、わずか1〜3%ほどのエタノールが生じます。
それは現代のビールよりもずっと薄く、身体に負担をかけるほどではありません。
それでも、熟した果実を食べたときのほんのりとした温かさ――
あれが、人類が初めて「酔う」という体験をした瞬間だったのかもしれません。
そして、この「発酵の森」こそが、私たちのアルコールとの長い関係の始まりです。
実際、約1000万年前の霊長類の遺伝子を調べると、
「ADH4」というアルコール脱水素酵素の遺伝子がこの時期に変化していたことがわかっています。
この変化によって、彼らは以前の約40倍もの速さでエタノールを代謝できるようになりました。
つまり、自然界に存在する発酵果実を“安全に利用できる”ように進化したのです。
これを、アメリカの進化生物学者ロバート・ダドリーは
「The Drunken Monkey Hypothesis(酔っぱらうサル仮説)」と名づけました。
彼の考えによれば、霊長類はアルコールの匂いを「熟した果実のサイン」として利用していたのです。
つまり、「酔う」という行動は、生き延びるための嗅覚的本能の一部でもあったのですね。
ですから、アルコールは本来「自然界の異物」ではなく、
むしろ人類の代謝と共に進化してきた仲間だったと言えるのです。
腸で始まるアルコールの代謝
多くの人が、アルコールは肝臓で分解されると思っています。
たしかにそれは正しいのですが、もう一つの大事な場所があります。
それが「腸」です。
腸は、単なる消化器官ではありません。
そこは代謝の第一関門であり、
食べたものが「体の内側」に入るかどうかを決める「国境線」のような場所です。
腸上皮の細胞には、肝臓と同じように
アルコール脱水素酵素(ADH)やCYP2E1という酵素が存在します。
アルコールをアセトアルデヒドに変えるこの反応の副産物として、
ROS(活性酸素種)が生まれます。
このROSが厄介なのです。
PUFA――つまり多価不飽和脂肪酸が多い細胞膜では、
このROSが脂質と反応して「脂質過酸化」を起こします。
すると、膜の柔らかさが失われ、タイトジャンクション(細胞と細胞の接着部)が壊れてしまいます。
その結果、腸内の細菌由来の毒素(LPS:エンドトキシン)が血液中に漏れ出してしまうのです。
これがいわゆる「リーキーガット(腸漏れ)」の状態です。
アルコールそのものの毒性よりも、実はこの腸バリアの破壊こそが
肝臓や全身の炎症を引き起こす“本当の犯人”です。
しかし、興味深いことに――
同じ量のアルコールを与えても、脂質の種類によって結果が全く異なります。
コーン油などのPUFA主体の食事では、肝障害が劇的に進みます。
一方で、バターやココナッツオイルなどの飽和脂肪酸(SFA)を含む食事では、
肝障害がほとんど起こらないのです。
ラットを用いた実験では、
PUFA群の肝臓には炎症、壊死、脂肪蓄積が広がり、
血液中のエンドトキシン濃度も上昇しました。
しかしSFA群では、これらの変化がほぼ完全に抑えられていたのです。
どうしてでしょうか?
その答えは、脂質の「酸化耐性」にあります。
PUFAは二重結合が多く、酸素と反応しやすい構造です。
一方でSFAには二重結合がなく、酸化されにくい。
つまり、アルコール代謝で発生するROSに対して、
飽和脂肪酸は細胞膜を守る盾のような働きをしてくれるのです。
飽和脂肪と不飽和脂肪の分かれ道
脂肪の種類が、これほどまでに体の反応を変える。
その事実を最も端的に示したのが、Ronisら(2004)の研究です。
彼らは、ラットにエタノールを経腸的に投与しながら、
脂肪の種類を変えて観察しました。
PUFA主体の群では、肝臓に重い脂肪肝と壊死が起こり、
酸化ストレスマーカー(TBARS)が高く、抗酸化能(GSH/GSSG比)は著しく低下しました。
一方で、SFA群――とくに牛脂とMCTを組み合わせた群では、
肝障害が劇的に減少し、壊死は消え、脂肪肝も大幅に改善しました。
このとき興味深いのは、アルコール代謝酵素(CYP2E1)の活性自体は変わっていなかったということです。
つまり、アルコールを分解する能力ではなく、
その副作用をどう受け止めるか――つまり脂質環境の違いが結果を分けたということです。
続くChenら(2015)の研究では、
アルコール+ラード(動物性SFA)食では脂肪蓄積が減る一方で、
線維化やTGF-β1上昇などのリスクも確認されました。
このことから、SFAにも「量と種類によってはリスクがある」ことがわかります。
しかし注目すべきは、同じSFAでもMCT(中鎖脂肪酸)では、
こうした線維化反応がほとんど起きなかったことです。
つまり、SFAの中でもMCTは最も代謝的にクリーンな燃料なのです。
肝臓で蓄積せず、すぐにβ酸化で燃え、ケトン体に変わり、
結果的にアルコール代謝による還元ストレスを和らげます。
生化学的に見ても、アルコール代謝と脂肪酸酸化は非常に近い経路を通っています。
どちらもNAD⁺/NADH比を変動させ、
ミトコンドリアの酸化還元バランスを左右します。
だからこそ、飽和脂肪酸やMCTがアルコール代謝を支え、
過剰なNADH蓄積による代謝ブロックを防いでくれるのです。
原始の晩餐と現代のミスマッチ
私たちの祖先がアルコールに触れていたのは、自然のなりゆきの中でした。
彼らは決して酒造りをしていたわけではありません。
落ちた果実が太陽の下でゆっくり発酵し、やがて香るその匂いに導かれていただけです。
当時の食環境を想像してみてください。
脂質の多くは動物性の飽和脂肪で、植物油のような多価不飽和脂肪酸はほとんど存在しませんでした。
糖質の摂取も少なく、日中は空腹の時間が長かった。
つまり、アルコールが入ってきても、それを処理する代謝環境がすでに整っていたのです。
進化生物学的に見れば、人類は「アルコール耐性のある飽和脂肪動物」だったと言えます。
果実や蜜から得る微量のアルコールは、
エネルギー源であると同時に、腸内微生物とのコミュニケーションの一部でもありました。
実際、野生の霊長類を観察すると、
彼らは1〜3%程度の自然発酵した果実や樹液を日常的に摂取しています。
摂取量に換算すれば、1日あたり数グラム〜十数グラムのエタノールにすぎません。
それでも、酔いを感じるか感じないかの絶妙な範囲で、
生命のリズムを調整するように「軽く酔う」ことを繰り返していたのです。
その環境では、アルコールは毒ではなく「香りの一部」でした。
しかし、現代の私たちはどうでしょうか。
植物油に由来するPUFAを大量に摂取し、
糖質の過剰摂取によってNADHが過剰になり、
細胞の酸化還元バランスが崩れています。
アルコールを飲めば、そこにさらに還元ストレスが加わる。
肝臓は飽和脂肪ではなくPUFAに満たされ、
酸化されやすい膜の上でアルコールが燃える――
まさに火薬庫の上で火をつけているような状態です。
一方、原始人の晩餐にはそのような危うさはありませんでした。
彼らの食事はシンプルで、代謝は安定し、
腸のバリアも、ミトコンドリアも、今よりずっと健やかだったでしょう。
アルコールは、自然と共に生きる日々の「風味の一部」だったのです。
「酔う」ことの再発見 ― あなたの中の生命へ
アルコールをめぐる議論では、しばしば「飲むか、飲まないか」という二元論が語られます。
しかし本質はそこではありません。
大切なのは、「どういう代謝環境で飲むか」ということです。
アルコールは敵ではありません。
それは、私たちの代謝の進化が選び取ってきた、自然との対話の名残です。
問題は、私たちの身体がそれを受け入れる準備を失ってしまったこと。
脂質の構成、腸内環境、酸化還元のバランス――
それらを整えることが、再び「自然な酔い」を取り戻す鍵なのです。
あなたがココナッツオイルを使うとき、
あるいはMCTを朝のコーヒーに加えるとき、
それは単なる栄養摂取ではありません。
細胞膜を守り、腸を守り、生命のリズムを「整える環境調整」そのものです。
そして、もしあなたがグラスを手にしたとき、
その中にある液体を「敵」ではなく「古い友人」として迎えてみてください。
酔うことを通して、身体がどんなメッセージを送っているのか。
熱くなる感覚、軽くなる心拍、血流の変化――
それらを感じ取ることができたら、
あなたはもう一度、生命のリズムとつながっているのです。
私たちは、アルコールと敵対する必要はありません。
むしろ、共に進化してきたパートナーとして理解すること。
そのためにこそ、脂質の選択、腸の環境、代謝の整え方を見直していく。
そうすれば、アルコールはもう「毒」ではなく、
あなたの生命を映し出す鏡になります。
どう生き、何を食べ、どう人と語り合うか。
そのすべてが、酔うという体験を通して現れます。
だから私はこう思うのです。
アルコールを正しく理解することは、
単に健康のためではなく、生命の本質を取り戻す道なのだと。
そして皆さんも、戒律で縛られていないのであれば
自分の中の「生命の酔い」を感じてみてはいかがでしょうか?
それは理性を失うための酔いではなく、
生命が「今ここに生きている」という喜びのサインかもしれません。
脚注・参考文献
- Dudley, R. (2000). Evolutionary origins of human alcoholism in primate frugivory. Q Rev Biol.
- Carrigan, M. et al. (2015). Hominids adapted to metabolize ethanol long before human-directed fermentation. PNAS.
- Ronis, M.J. et al. (2004). Dietary saturated fat protects against alcoholic liver disease in rats. Alcohol Clin Exp Res.
- Chen, X. et al. (2015). Saturated fatty acids reverse inflammatory and fibrotic changes in rat liver despite continued ethanol administration. J Nutr Biochem.
- Tapper, D. et al. (2020). Fermenting fruit and ethanol exposure in wild chimpanzees. R Soc Open Sci.