小さな花が名づけた千二百年の寒さ ―― ヤンガードリアスという「揺り戻し」

いまからおよそ一万二千九百年前のことです。

長い氷河期がようやく終わりかけ、地球は少しずつ暖まりはじめていました。

北の大地を覆っていた氷が溶け、森が北へ広がり、人も動物も、あたたかくなっていく世界にゆっくりと体を慣らしていた頃です。

ところがその暖まりの途中で、気候はいきなり後ろに引き戻されました。

数十年という、ひとりの人間が生きているあいだに収まってしまうほどの短さで、世界は再び氷河期の入り口のような寒さへと逆戻りしたのです。

そして、その寒さはおよそ千二百年ものあいだ続きました。

この出来事を、私たちはヤンガードリアスと呼んでいます。

一輪の花が、時代の名前になった

不思議なのは、この壮大な寒の戻りの名前が、ひとつの小さな花からつけられていることです。

ドリアス(Dryas octopetala)は、寒冷な高山やツンドラに咲く、白い八枚の花びらを持つ可憐な野草です。

日本ではチョウノスケソウと呼ばれる、この花の仲間です。

寒さが戻ると、この花は勢力を広げます。

やがて花が散り、その花粉が湖や沼の底に降り積もり、泥の層のなかに閉じ込められていきます。

後の時代の研究者が湖底の堆積物を掘り、地層を一枚ずつ読んでいくと、ある深さのところで、この寒冷地の花の花粉が急に増えている層に出会います。

「ここで、世界がもう一度冷えた」

泥のなかの花粉が、そう教えてくれるのです。

だから、寒の戻りそのものに、この花の名が与えられました。

ドリアスという名前の由来をたどると、これがまた面白いのです。

Dryas はギリシャ語の drys、つまり「樫(かし)の木」に由来します。

ギリシャ神話に登場する森の精ドリュアス――樫の木に宿るとされた木の精――と、同じ語根から生まれた言葉です。

この花の葉のかたちが、どことなく樫の葉に似ているところから、その名がついたのだと言われています。

千二百年におよぶ地球規模の寒冷期が、「樫の木の精」という名を持つ、掌に乗るほど小さな一輪の花から名づけられている。

大きな出来事の名前が、いちばん小さなものに宿っているというのは、なんとも味わい深いことだと思います。

寒さは、海の流れが止まって訪れた

では、なぜ暖まりかけていた地球が、これほど急に、これほど長く冷え込んだのでしょうか。

いま最も広く支持されている説明は、海の流れにあります。

当時、北アメリカ大陸には、溶けた氷河の水を溜めこんだ巨大な湖――アガシー湖と呼ばれる氷河湖――がありました。

その水をせき止めていた氷の壁が崩れたとき、途方もない量の淡水が、一気に北の大西洋へと流れ出したと考えられています。

ここで鍵になるのが、海水の「重さ」です。

海の水は、冷たくて塩からいほど重くなり、深く沈みこみます。

北の大西洋では、この重くなった海水が海の底へ沈み、その動きが、赤道のあたたかい海水を北へ運びあげる大きな循環――大西洋の南北の熱の運び屋――を回していました。

いわば、あたたかさを北へ届ける、地球規模のベルトコンベアです。

そこへ、大量の淡水が流れこみました。

真水は塩水より軽いので、海の表面が薄い真水の膜で覆われると、海水は重くなれず、沈みこめなくなります。

沈みこみが弱まると、あたたかい海水を北へ運ぶ流れも滞ります。

こうしてベルトコンベアがゆるみ、北半球へ運ばれていた熱が届かなくなった。

その結果として、北半球はふたたび凍りついた――これが、ヤンガードリアスの主流の説明です。

この筋書きは、グリーンランドの氷床を深く掘り抜いた氷のなかにも刻まれています。

氷には、その年その年に降った雪が層になって残り、当時の気温の手がかりまで閉じこめられています。

その記録を読むと、寒さの始まりは急で、そして千二百年後の終わり方は、始まりよりもさらに急でした。

まるでスイッチが切り替わるように、世界が一気に暖かさを取り戻したのです。

なお、この寒冷期を彗星の衝突で説明しようとする仮説も知られていますが、こちらは決め手となる証拠に乏しく、専門家のあいだでは支持を集められていない少数説です。

近年の検証ではむしろ否定的な評価が重なっており、主流の見方はあくまで、氷河の融け水が海の流れを止めたという先ほどの筋書きにあります。

寒さが、種をまく手を押したのかもしれない

ヤンガードリアスが人類にとって特別なのは、それがちょうど、私たちの暮らし方が大きく変わろうとしていた時代に重なっているからです。

当時、いまの中東にあたる地域には、ナトゥーフ人と呼ばれる人々が暮らしていました。

彼らは野生の穀物を摘み、狩りをし、一箇所に留まって暮らしはじめていた、狩猟採集から定住への入り口に立つ人々でした。

そこへ、寒く乾いた千二百年が訪れます。

雨が減り、頼りにしていた野生の植物が育ちにくくなり、食べものの実りが細っていきました。

このとき人々が、ただ自然の恵みを待つのではなく、みずからの手で種をまき、水のある土地を選んで穀物を育てはじめた――そのきっかけのひとつが、この寒さだったのではないか。

農耕の始まり、すなわち人類が自然にあわせて生きる暮らしから、自然に手を加えて食べものをつくる暮らしへと踏み出した、あの大きな転換の引き金になったのではないか、と考える研究者がいます。

もちろん、これはまだ議論の続いているところで、寒さだけが農耕を生んだと言い切れるわけではありません。

同じ頃、遠く離れた北アメリカでは、クローヴィスと呼ばれる古い狩人たちの文化が姿を消し、マンモスをはじめとする大型の動物たちが次々と絶滅していきました。

これらもヤンガードリアスと時期を同じくしていますが、その原因が寒さそのものにあるのかどうかは、いまも決着していません。

ただ、ひとつだけ確かに言えることがあります。

食べものが細るという、体で感じる切実な事態が、人の暮らしを根っこから作り変えるほどの力を持っていた、ということです。

一生のうちに、世界が入れ替わる

ヤンガードリアスがいちばん静かに突きつけてくるのは、その速さです。

気候というものは、何万年もかけてゆっくり動く、遠い背景のようなものだと私たちは思いがちです。

けれど氷のなかの記録は、そうではないと語っています。

暖まっていた世界が、ひとりの人間が生まれてから年老いるまでのあいだに、氷河期の寒さへ滑り落ちることがある。

そしてまた同じくらいの速さで、暖かさが戻ってくることもある。

生まれた頃の世界と、老いてゆく頃の世界が、まるで別の惑星のように入れ替わってしまう。

それを実際に生き抜いた人々が、確かにいたのです。

湖底の泥に閉じこめられた花粉、氷にきざまれた雪の層。

物言わぬ地層のなかに、樫の木の精の名を持つ小さな花が、その千二百年をいまも指し示しています。

想像してみてください。

暖かくなりはじめた春の空気を頬に感じていた人が、やがて指先のかじかむ寒さのなかで火を絶やさぬよう息を吹きかけ、細った実りを前に、手のひらのなかの一粒の種を見つめる。

その手のひらの重みと体温の記憶が、私たちがいま、あたたかい食卓を囲めていることの、いちばん遠い出発点なのかもしれません。

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