夏の食欲を止めているのは、脳のほうでした

8月の昼、台所で冷蔵庫を開けて、また閉めました。
そうめん、冷やしたトマト、桃。
手が伸びるものが、どれも冷たいことに、そこで気づきます。
昨日の夕方までおいしそうに見えていた唐揚げは、いま、まったく食べたいと思えません。

夏に食欲が落ちると、たいていは胃のせいにされます。
胃が弱った、夏バテだ、と。
けれど、体の中で先に動いていたのは、胃ではありませんでした。

食欲は、胃の外側で止まっています

英語で appetite ―― 食欲という言葉は、ラテン語の appetere に由来します。
ad(〜に向かって)と petere(求めて突き進む)が合わさった語で、もともとは「それに向かって、身を投げ出していく」という動きを指していました。
食欲とは、はじめは気分のことではなく、体がその方向へ出ていく運動だったのですね。

そして暑い日、体はその動きのほうを、先に止めています。

理由は、順番で考えると分かります。
食べれば、体は熱を出します。
消化し、吸収し、代謝する ―― そのすべてが熱を生みます。
すでに熱を捨てるのに追われている体にとって、食事は、追加の荷物です。
だから体は、食べたあとで困る前に、食べる手前で手を引く。

2024年、この判断がどこで下されているのかが、マウスとラットで突き止められました1
まず、脳幹にある結合腕傍核 (parabrachial nucleus) という場所の、温度を感じる神経が反応します。
そこからの信号を受けるのが、タニサイト (tanycyte) ―― 脳の内側の空洞の壁を覆っている、細長いグリア細胞です。
このタニサイトが VEGFA というたんぱく質を出し、視床下部の弓状核にある、空腹の衝動をつくる神経 ―― AgRP神経の興奮のしきいを、押し上げる。
しきいが上がるとは、同じ刺激では火がつかなくなる、ということです。

胃が動く前、食べものが口に入る前に、空腹をつくる装置そのものの感度が下げられている。
これが、夏の食欲の正体でした。

ヒトでも、同じことが起きています

マウスの回路が、そのまま人に当てはまるとはかぎりません。
けれど、人でも同じ向きの変化は、くり返し測られています。

室温30℃で過ごしたあとの昼食と、20℃、10℃で過ごしたあとの昼食を比べた実験があります2
好きなだけ食べてよい条件で、30℃のあとは、およそ1,200キロジュール ―― 290キロカロリーほど、少なく食べました。

この研究には、もう一つ大事な結果があります。
空腹や満腹を伝える血中のホルモン ―― グレリン、PYY、GLP-1は、どの温度でも差がありませんでした。
腸から出る合図は変わっていないのに、食べる量だけが減っている。
決めているのが消化管ではないことを、この食い違いが示しています。

13の試験、199名分をまとめた解析でも、向きは同じでした3
暑さは摂取量を下げる側に、寒さは上げる側に、きれいに逆へ働いていました。
ただし、差の大きさそのものは、いずれも小さめです。

日本の夏では、どれくらい落ちるのか

ここからは、暑さの強さで話が変わります。

24時間ずっと暑さの中で過ごさせた研究では、意外なことに、一日の摂取量は変わりませんでした4
昼に減った分を、どこかで取り返している。
ただし、この研究の「暑い」は32℃です。
日本の8月とは、別の気温だと考えたほうがいい。

日本のデータでは、落ち方はずっと大きく出ています。
関西に住む20歳から23歳の女性28名を、冬から春、夏へと追った研究があります5
食べたものを目分量ではなく、秤で計って記録する方法をとりました。
エネルギー摂取量は冬に最も多く、気温が上がるにつれて下がり、夏には25パーセント低くなっていました。

ただ、この25パーセントを、そのまま日本人の数字として受け取るのは、まだ早いところがあります。
日本で行われた10の研究をまとめた解析では、多くの栄養素で、季節による差は研究ごとにばらついていました6
はっきりした季節差が残ったのは、野菜、果物、いも類です。
つまり、25パーセントは「暑い夏に起こりうる幅の、上のほう」を示す数字であって、確定した値ではありません。

胃と腸で、何が起きているか

脳が先に決めている、といっても、消化管の側で何も起きていないわけではありません。

体温を守るために、体は血を皮膚のほうへ送ります。
皮膚で熱を捨てるには、そこに血を流すしかないからです。
その分、内臓に回る血は減ります。

全身を温めた実験では、小腸と肝臓が酸素の足りない状態に傾くことが、実際に測られています。
血が減れば、動きは鈍り、消化液の分泌も落ちる。
胃がもたれる感覚の下には、この血流の移動があります。

ここは、正直に線を引いておきます。
はっきりしたデータの多くは、「暑さの中での運動」で得られたものです。
同じ深部体温まで温めても、運動をともなうほうが、腸の壁の変化は大きく出ます。
座って暑さにさらされているだけの状態は、それより軽い。
そして、この負担をいちばん増幅するのは、脱水です。
夏の胃の重さとして語られているものの、かなりの部分は、水が足りていない状態そのものだと言えます。

脂は、いちばん熱を出さない栄養素です

「夏は脂っこいものを控えたほうがいい」。
昔から言われてきたことで、体感としても、当たっています。
ただ、理由のほうは、多くの人が思っているのと逆でした。

食べたものを処理するとき、体は熱を出します。
これを食事誘発性熱産生といいます。
その大きさは、栄養素によってまるで違います。
たんぱく質は、取り込んだエネルギーの20から30パーセント。
糖質は5から10パーセント。
そして脂質は、0から3パーセントしかありません。

脂は、三つの栄養素のなかで、いちばん熱を出さない栄養素です。
体を内側から温めるという意味なら、焼いた肉のほうが、ずっと熱くなります。

では、なぜ夏の脂は重いのでしょうか。

脂が胃を出て十二指腸に届くと、コレシストキニン (CCK) というホルモンが出ます。
このホルモンは、胃の出口を締め、胃の上のほうをゆるめ、胃の中身が先へ進む速さを落とします。
さらに脂が小腸の奥まで届くと、今度は別のホルモンが、同じように速度を落とす。
脂は、胃にとどまる時間がいちばん長い栄養素です。
これは不調ではなく、設計です。

その脂が、血流の減った胃に入る。
もともといちばん長く留まるものが、さらに長く留まることになります。
夏の脂の重さは、脂が熱いからではなく、脂がいちばん遅いからでした。

ここも、分かっていないところを書いておきます。
暑い環境と涼しい環境で、脂質の多い食事の胃の通り方を直接比べたヒトの研究は、見あたりません。
測られているのは、好みのほうです。
32℃の環境では、冷たいもの、脂の少ないものを求める度合いが上がりました。
16℃では逆に、温かいもの、脂の多いものを求める度合いが上がり、実際に温かい主菜がよく食べられています6
夏に脂が消化しにくくなるのか、体が脂を求めなくなるだけなのか ―― そこは、まだ分かれ道の手前にあります。

冷たいものは、どこまで助けになるか

凍らせた果物や、氷の入った飲みもの。
体を冷やす力は、計算できます。

氷は、溶けるというそれだけで、1グラムあたり334ジュールの熱を奪います。
凍らせた果物を200グラム食べれば、溶かして体温まで温めるのに、あわせて80キロジュールほどが要ります。
一方、体全体の温度を1℃動かすのに必要な熱は、体重60キロの人で200キロジュールあまり。
つまり、0.4℃分ほどの冷やす力があることになります。

実験でも、確かめられています。
体重1キロあたり7から8グラムの氷を運動の前に食べると、直腸で測った体温が0.3から0.5℃下がり、暑さの中で走れる時間が伸びました。

ところが、計算と実測のあいだには、ずれがあります。
その量の氷なら、理屈のうえでは1℃を超えて下がるはずです。
実際に下がったのは、その半分以下でした。

差は、どこへ行ったのでしょうか。

冷たいものが腹に入ると、腹部にある温度センサーが働いて、1分もしないうちに汗が減ります。
体は、冷えた分だけ、汗を出し惜しむ。
汗が減れば、皮膚から逃がせる熱も減ります。
乾いて風のある場所では、この差し引きで、冷やした分がほぼ消えてしまうこともあります。
日本の夏は湿度が高く、もともと汗が蒸発しにくい。
その意味では、冷たいものの取り分は、こちらのほうが残りやすいと言えます。

もう一つ、意外なことがあります。
冷たい飲みものは、体温と同じ温度のものより、胃から出ていくのが遅くなります。
「冷たいほうが胃にやさしい」は、胃の動きとしては、逆でした。

それでも、冷たいものには、はっきりした役割があります。
冷たさが深部の体温を下げる幅より、口や喉で感じる涼しさのほうが、ずっと大きいのです。
そして、涼しく感じられれば、人は飲めるし、食べられる。
冷たいものの本当の仕事は、体を冷やすことより、水と塩の入り口を開けておくことだと言えます。

夏が、完成しない

ここまでは、うまくできた話です。
熱を捨てることを最優先に、食欲を後回しにする ―― 順番として、理にかなっています。

けれど、一つ、辻褄の合わないことがあります。

体は、暑さに慣れていきます。
暑い環境に続けて身を置くと、3日から5日で変化が始まり、10日から2週間ほどでほぼ仕上がる。
血液の量が増え、心臓の負担が減り、汗は早く、上手に出るようになる。
同じ35℃が、こたえなくなっていきます。

だとすれば、食欲の抑えも、夏が進むほど緩んでいくはずです。
いちばんつらいのは、最初の暑い数日であるはず。

ところが実際には、夏バテは8月の終わりに重くなります。
順番が、合いません。

理由の一つは、私たちの一日の過ごし方にあります。
冷房の効いた部屋を出て、外を歩き、また冷えた店に入り、また出る。
暑さへの慣れは、続けて暑さの中にいることで進みます。
出たり入ったりでは、仕上がりまで届きません。

祖先の夏は、はじめの数日がきつく、あとは体が作り替わっていく夏でした。
私たちの夏は、その作り替えが仕上がらないまま、9月まで続く夏です。
夏じゅう、順化の初日をくり返している ―― これを、未完の夏と呼んでおきます。

現代の助言は、たいてい足りないものの話で終わります。
夏バテには、しっかり食べましょう。栄養をとりましょう、と。
何が足りないかは言いますが、なぜ落ちたのかは、あまり問われません。
食欲が落ちたこと自体は、失調ではなく、体温を守るための順番の結果です。
先に埋めるべきは、食事の量よりも、水と塩のほうだと言えます。

誤解のないように書いておきますが、冷房を我慢する理由には、これはなりません。
冷房は、命を守っています。
猛暑の日に室内で亡くなる人を減らしてきたのは、精神論ではなく、この機械です。
順化が仕上がらないことは、冷房の欠点ではなく、暑さと涼しさを一日に何度も行き来する、暮らしの形の話です。

そして、この抑えが危ない側に働く人がいます。
高齢の方では、食が細るとき、いっしょに減るのが水と塩です。
しかも食欲の回路は、のどの渇きより先に止まります。
食べていないことに気づいたときには、水も足りていない。
まわりが見て、声をかけて、先に水を渡す ―― そこだけは、体まかせにできません。

食欲の落ちた夏の日、体は壊れてはいません。
熱を捨てることを、いちばん先に置いているだけです。
その順番を信じたうえで、まず、水と塩を。
そして、日が傾いて風が変わったころに、もう一度、台所に立ってみてください。
そのときには、手が伸びるものが、少し違っているはずです。


  1. Benevento M, Alpár A, Gundacker A ほか.「A brainstem–hypothalamus neuronal circuit reduces feeding upon heat exposure」Nature 628(8009):826–834, 2024(PMID 38538787 / DOI 10.1038/s41586-024-07232-3)。 

  2. Zakrzewski-Fruer JK, Horsfall RN, Cottrill D, Hough J.「Acute exposure to a hot ambient temperature reduces energy intake but does not affect gut hormones in men during rest」British Journal of Nutrition 125:951–959, 2021。 

  3. Millet J, Siracusa J, Tardo-Dino PE, Thivel D, Koulmann N, Malgoyre A, Charlot K.「Effects of Acute Heat and Cold Exposures at Rest or during Exercise on Subsequent Energy Intake: A Systematic Review and Meta-Analysis」Nutrients 13(10):3424, 2021(PMID 34684424)。 

  4. 「Twenty four-hour passive heat and cold exposures did not modify energy intake and appetite but strongly modify food reward」British Journal of Nutrition 2024(PMID 38634266 / DOI 10.1017/S0007114524000825)。 

  5. Tanaka N, Okuda T, Shinohara H ほか.「Relationship between Seasonal Changes in Food Intake and Energy Metabolism, Physical Activity, and Body Composition in Young Japanese Women」Nutrients 14(3):506, 2022(PMID 35276865)。 

  6. Adachi R, Oono F, Matsumoto M, Yuan X, Murakami K, Sasaki S, Takimoto H.「Seasonal Variation in the Intake of Food Groups and Nutrients in Japan: A Systematic Review and Meta-analysis」Journal of Epidemiology 2025(PMID 39098037)。 

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