世界中の神話に、よく似た話が一つあります。
海がせり上がり、低地を飲み込み、人が高台へ逃げる。
ノアの箱舟も、ギルガメシュ叙事詩の洪水も、日本や太平洋の島々に散らばる水没伝承も、細部は違えど骨格はそっくりです。
これほど遠く離れた文化が、なぜ同じ物語を持っているのか。
その手がかりの一つが、氷河時代の終わりに実際に起きた出来事にあります。
今からおよそ一万四千六百年前。
地質学者がメルトウォーター・パルス1A(Meltwater Pulse 1A)と呼ぶ、海面上昇の最も激しい「一撃」です。
五百年たらずで、海が十数メートル上がった
数字だけ先に置きます。
このとき海は、五百年に満たない時間のうちに、およそ十メートルから二十メートル上がりました。
十メートルといえば、三階建ての建物がまるごと水没する高さです。
それが数世代のうちに起きた。
一年あたりにならせば、あなたのくるぶしから膝、あるいは腰のあたりまで、生きているうちに海が近づいてくる速さです。
なぜそんなことがわかるのか。
海はもう引いてしまったのに、と思われるかもしれません。
記録を残したのは、珊瑚でした。
珊瑚は光を求めて海面近くで育つため、海面が急に上がると追いつけずに死に、その死んだ層が「ここまで海が来た」という物差しになります。
カリブ海のバルバドス、南太平洋のタヒチ。
別々の海に沈んだ珊瑚礁を掘り出して重ねると、同じ時期に海が一気に跳ね上がった痕がくっきり残っていました。
「洪水」という言葉が、もともと指していたもの
ここで一つ、言葉の話をさせてください。
英語で大洪水を意味するdelugeという語は、ラテン語のdiluviumに由来します。
これはdi-(すっかり)とluere(洗う)が組み合わさった言葉で、もともと『すっかり洗い流す』ことを意味していました。
つまり洪水とは、ただ水が増えることではなく、それまでそこにあったものを、地面ごと洗い去ってしまうという動きを指す言葉だったのですね。
地質学ではいまも、川が運んだ土砂の堆積を「沖積層(diluvium / alluvium)」と呼びます。
言葉の芯に、押し流し、洗い、積み直すという水の身振りが残っている。
メルトウォーター・パルス1Aで起きたのは、まさにこの『洗い流し』でした。
海岸線が内陸へ食い込み、なだらかな沿岸平野が沈み、大陸と大陸をつないでいた陸橋が水に没していく。
人が住み、獣を追い、貝を拾っていた土地が、地面ごと海の下へ消えたのです。
沈んだのは、ふつうの狩猟採集の人々でした
ここで一つ、誤解を解いておきたいことがあります。
海に沈んだ土地の話になると、しばしば「失われた高度文明」の影がちらつきます。
けれど、この時代に沿岸で暮らしていたのは、後期氷河時代のふつうの狩猟採集民です。
彼らの世界は、私たちが思うより海に寄り添っていました。
氷河期の海は今より百メートル以上も低く、いま海底になっている広い平野が、当時は歩ける陸でした。
そこは獣が集まり、魚が寄り、貝の採れる、豊かな暮らしの場だったはずです。
考えてみてください。
祖父の代には浜だった場所が、孫の代には沖になっている。
狩り場が沈み、寝起きした野営の跡が沈み、目印だった岩や岬が沈んでいく。
一人の人生のうちに完結はしなくとも、三代を通せば「土地が海に食われていく」ことは、はっきりと体で感じられる速さでした。
だからこそ、その記憶は物語として語り継がれ、遠く離れた文化に似た形で残ったのだと考えられています。
崩れたのは、どの氷だったのか
では、これほどの水はどこから来たのか。
これは、いまも決着していない生きた論争です。
かつては南極の氷が主犯ではないかとも言われました。
けれど二〇二一年に発表された研究は、世界の各地に散らばる海面の痕跡を照らし合わせる「指紋照合」のような手法で、別の答えを示しています。
最も大きく崩れたのは、南極ではなく北アメリカを覆っていた巨大な氷床(ローレンタイド氷床)だった、と。
南極も、スカンジナビアも、いくらかは寄与した。
けれど主役は、北の大陸を覆っていた厚い氷が、暖まった数世紀のうちに海へ雪崩れ込んだことにあった――そう読めるのです。
これはまだ確定ではありません。
けれど確からしいのは、地球が数度暖まったとき、氷床が想像よりずっと速く崩れうるという事実です。
メルトウォーター・パルス1Aは、私たちが手にしている「巨大な氷が急に溶けたら海はどうなるか」という問いへの、自然が残した最も生々しい答えなのです。
膝に触れる、境目の水
一万四千六百年前の話を、遠い昔として置いておくことはできます。
けれど私は、海辺に立ってふくらはぎのあたりに波が当たるとき、いつもこの数字を思い出します。
いま、あなたのくるぶしを撫でていく波。
それが一年、また一年と、少しずつ上がってくる。
気づけば膝に触れ、いつか腰に届く。
海面の変化とは、遠い研究者の数字ではなく、自分の身体のどこまで水が来るかという、きわめて肉体的な問いなのですね。
砂に足を沈めたまま、ひたひたと寄せる水の冷たさを、くるぶしで測ってみてください。
その温度と、その高さの感覚こそが、一万四千年前の人々が三代がかりで学んだことの、いちばん確かな入り口なのだと思います。