自分の「宿(しゅく)」を調べたことがある方は、けっこういらっしゃると思います。
宿曜でいう本命宿。
生まれた日の月が、空のどのあたりに「泊まっていた」かで決まる、あなたの星です。
そう、「泊まっていた」。
宿という字は、もともと宿屋の宿。
旅人が一晩の寝床を借りる、あの宿です。
月は二十七日ほどかけて空をひとめぐりしながら、毎晩ちがう宿に泊まっていきます。
今夜はこの宿、明日はとなりの宿、と。
生まれた夜に月が泊まっていた宿が、あなたの本命宿になる。
昔の人は、月を、空を渡る旅人として見ていたのですね。
ロマンのある話です。
ところが、ここで小さな実験をしてみます。
同じ生年月日を、別々の宿曜本で調べてみる。
あるいは、日本の宿曜の本と、インドの占星術(あちらでは月の宿を nakshatra〈ナクシャトラ〉と呼びます)で、それぞれ調べてみる。
答えが、ちがうことがあります。
同じ日に生まれた、同じあなた。
それなのに、こちらの本では昴宿、あちらの暦ではでは畢宿。星がひとつ、ずれている。
これは、どちらかが壊れているのではありません。
宿の決め方そのものに、千年ものあいだ折り合いのつかない、二つの考え方があるのです。
その二つを、二人の人物として想像してみましょう。
月を読む、二人
一人目は、僧侶です。
彼は空を見上げません。
手元に、密教とともに唐からもたらされ、何代も受け継がれてきた一冊の暦があります。
旧暦の何月何日にはこの宿、次の日はとなりの宿——と、表が一日ずつきちんと決めてくれています。
彼はその表を信じ、めくり、読む。
空がどうであれ、表が「今日はこの宿」と言えば、それがその日の宿なのです。
千年以上、受け継がれてきた約束ですから。
二人目は、望遠鏡を持った天文学者です。
数学と天文学を占いと一緒に育ててきたインドの系譜に連なる彼は、表を信じません。
外に出て、夜空を指差します。
「いや、月は今、実際にここにいる。だからこの宿だ」。
暦に何と書いてあろうと、本物の月の居場所こそが宿を決める、と彼は考える。
おもしろいのは、この二人が、まったく同じ月について語っているのに、別の答えを出すことです。
なぜ食いちがうのか。
月は、いつも同じ速さで空を渡るわけではないからです。
少し急ぐ夜もあれば、ゆっくり進む夜もあります。
けれど僧侶の暦は、毎日きっかり一つずつ宿を進めていきます。
そのわずかなずれが、何百年と積もっていきます。
固定された表と、動きつづける空。
一日ぶんずれれば、宿はまるごとひとつ動いてしまいます。
彼らは正反対に見えて、じつは同じことをしています。
英語で占星術を horoscope といいますが、これはギリシャ語の hōra(時)と skopos(見張る者)からできた言葉。
どちらも「時を見張る者」です。
ちがうのは、何を見張るか。
天文学者が見張るのは「今、この瞬間」の空。
僧侶が見張るのは「千年、破られなかった約束」そのもの。
そして大事なのは、これが昔話ではないということです。
僧侶のやり方は、今の日本の宿曜占いでも広く使われている方法です。
望遠鏡のやり方は、今この瞬間も、世界中の何億という人がインド占星術で自分の星を知るのに使っている方法です。
どちらも、今を生きています。
二つの見張り方が、何億台というスマートフォンの中で、別々の答えを出しつづけています。
あなたは、どちらの宿の人でしょう
ここで、答えを急がないでおきましょう。
どちらが「正しい」かは、じつは方法の優劣の問題ではありません。
それは、もっと手前の問い——「宿とは、そもそも何なのか」 という問いに、あなたがどう答えるかで決まります。
宿とは、空にある事実でしょうか。
だとすれば、本物の月を指差す望遠鏡が正しく、暦は近似にすぎません。
それとも宿とは、受け継がれてきた約束でしょうか。
だとすれば、千年の暦こそが本物で、天文学はあとから来た理屈にすぎません。
——お気づきでしょうか。
これは、月の話をしているようでいて、じつはあなた自身の話なのです。
暦の宿が教えてくれるのは、受け継がれてきた物語が「あなたはこういう人だ」と与えてくれた姿です。
文化や系譜の中で授かった、物語としてのあなたです。
空の宿が指し示すのは、いま実際にそこにある、ありのままの位置。
だれかの物語に頼らない、事実としてのあなたです。
「あなたの星はひとつではないかもしれない」とは、つまり——あなたは、受け継いだ物語と、いまここにある事実の、ちょうどあいだに立っている、ということ。
どちらも、まぎれもなくあなたなのですね。
だから今夜、もし空に月が出ていたら、その月は、いまどの宿に泊まっているのか。
暦の言うとおりか、それとも、ほんの少しだけ宿を移しているのか。
その指先にふっと触れる、自分がひとつに決まりきらないという感触。
それこそが、千年つづいてきた問いの、いちばんおもしろいところではないでしょうか。
次回は、その「望遠鏡を持った天文学者」たちのあいだでも、じつは答えが割れているという話を。同じ空を見ているはずの彼らが、なぜ刀を抜きあうのか——。