「稲妻」⇔ “lightning” ―― 雷が稲の「つま」だった頃

今朝は、朝から激しい雨でした。
散歩に出ることもできず、窓の内側から、庭を見ていました。
6月に植えたサツマイモが、雨に打たれて、うれしそうに濡れています。
今日は、私が水をやらなくてもいい日です。
空が、代わりにやってくれています。

ぼんやりとそれを眺めながら、ふと、先日教わったばかりの言葉を思い出しました。

「天水(てんすい)」という言葉

先日、ある方が、こんなことを教えてくれました。
作物にとって、雨は「天水(てんすい)」——天の水——と呼ばれ、いちばんのごちそうなのだ、と。

天の、水。
なんと、豊かな名前でしょうか。
ただ、名前が美しいことと、中身がその名に見合うことは、別のことです。
「天水」とは、空を仰いだ昔の人の、詩のような願いなのでしょうか。
それとも——その名のとおり、雨のひとしずくには、天から届く「ごちそう」が、ほんとうに溶けているのでしょうか。

その一点が、知りたくなりました。

空気は窒素だらけ、なのに植物は飢えている

私たちが吸っている空気の、およそ8割は窒素です。
窒素は、植物が育つために、いちばん欲しがる養分でもあります。
では、植物は、あり余る空気中の窒素を、好きなだけ使えるのでしょうか。

使えないのです。

空気中の窒素(N₂)は、二つの窒素原子が、三重の結合でがっちりと握り合っています。
これは、自然界でもっとも固い結合のひとつです。
たとえるなら、養分が、開かない金庫の中に閉じ込められているようなものです。
すぐそこに、いくらでもあるのに、手が出せない。
植物は、窒素の海に浮かびながら、窒素に飢えているのですね。

その固い金庫を、こじ開けるものがあります。

稲妻が、金庫をこじ開ける

雷です。

稲妻が走る瞬間、その通り道は、太陽の表面よりもはるかに高い温度になるといわれています。
この途方もない熱が、あの固い窒素の結合を、一瞬で引き裂きます。
ばらばらになった窒素は、空気中の酸素と結びついて、窒素酸化物という別の姿に変わります。
それが雨粒に溶け込み、硝酸(しょうさん)となって、地面へ降りてきます。
土に届くころには、それは、植物がそのまま吸い上げられる形——硝酸イオン——になっています。

空気中では使えなかった窒素が、雷と雨を通って、作物の食べられる養分に変わる。
この一連のはたらきを、科学は窒素固定(nitrogen fixation)と呼びます。
雷は、文字どおり、空が畑に撒く肥料だったのです。
「天の水」という名前は、詩ではなかったのですね。

ただし、量でいえば、雷は主役ではありません。
地球全体で見れば、雷が作る窒素は、土の中の微生物や、現代の肥料工場が担う量にくらべれば、ごくわずかです。
それでも、一雨ごとに、空が少しずつ養分を届けているのは、確かなことなのですね。

千年前の人は、それを「稲の妻」と呼んだ

日本語では、雷のことを「稲妻(いなづま)」と呼びます。
「妻(つま)」というのは、古い言葉では、夫にも妻にも使う、連れ合いのことでした。
つまり稲妻とは、もともと「稲の、つれあい」という意味なのです。

なぜ、雷が、稲の連れ合いなのでしょう。
昔の人は、経験から知っていました。
雷の多く鳴る年は、稲がよく実る。
だから、秋に光る雷を、稲を実らせに通う連れ合いだと考え、その名で呼んだのですね。

窒素も、化学も、何ひとつ知らないまま。
ただ、田を見つめ、空を見上げ、「雷が多いと、よく実る」という一点を、正確に捉えていた。
そして、その観察を、言葉そのものに刻んで、千年以上、次の世代へ渡し続けてきたのです。

ところが、海の向こうでは、まるで違う名で呼ばれていました。
同じひとつの雷を、人は、体のどの感覚で受けとめたかによって、別々の名で呼んだのです。

で見た人は、あの閃光を名にしました。
英語の lightning は、古英語の「光る(leoht)」に由来し、要するに「光るもの」です。

で聞いた人は、あの轟きを名にしました。
英語の thunder は、雷神トールにつながる古い言葉で、もとは「鳴りひびくもの」
日本語の「かみなり」も、もとは「神鳴り」——神のうなり声です。
海の向こうでも、この島でも、人は雷の音を、神の声として聞いていたのですね。

そして、「稲妻」だけは、目でも、耳でもありませんでした。
光でも音でもなく、その一閃が畑にもたらすもの——稲の実り——を、名にした。
見えるものでも、聞こえるものでもなく、いちばん目に映りにくい因果のほうを、この名前は捉えていたのです。

稲の、つれあい

今は、便利な時代です。
工場が、空気から窒素を取り出し、袋詰めの肥料にしてくれます。
雷を待たなくても、私たちは畑に養分を撒けます。

けれど、そのぶん、私たちは、雷と実りのつながりを——名前ごと——忘れかけています。
「天水」という言葉を、今も自然に口にする人は、まだそのつながりの中に、立っている人です。
土と、作物と、天水。
その循環がうまく回ったところに、人の手と、ほんの少しの愛情が乗ると、作物はさらに美味しくなる。
これは、私に天水を教えてくれた、あの方の言葉です。
科学よりずっと前から、人はそれを、知っていたのでしょう。

激しかった雨も、昼にはやみました。
サツマイモは、たっぷりと天水を飲んで、少し背が伸びたように見えます。

三重結合にこもった窒素と、太陽より熱い稲妻と、硝酸を運ぶひとしずくの雨と、空を見上げた古い目とが、ひとつのことを教えてくれます——
雷は、まことに、稲のつれあいだったのですね。

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