世界はすでに四度、終わっている ―― アステカ「五つの太陽」の神話

多くの文明は、世界がどう始まったかを語ります。
けれどもアステカの人々は、世界がすでに四度、終わってしまったことを語りました。
そしてこの五度目の世界も、いつか必ず終わると信じていました。

その物語は「五つの太陽」と呼ばれます。
それを理解するには、まずこの物語を語っていた人々が誰なのかを知る必要があります。

アステカとは、誰だったのか

「アステカ」と私たちが呼ぶのは、正確にはメシーカ(Mexica)と呼ばれる人々です。
彼らは、古代メソアメリカ最後の大帝国を築きました。

伝承によれば、1325年ごろ、彼らはテスココ湖に浮かぶ小さな島に住み着き、テノチティトランという都市を築きます。
現在のメキシコシティが建つ場所です。
二世紀と経たないうちに、この都市は地上でも有数の大都市へと成長しました。
運河が走り、水道が引かれ、湖の上には「チナンパ」と呼ばれる浮き畑が広がり、人口は二十万を超えたとも言われます。

彼らはナワトル語を話し、三つの都市国家の同盟によって広大な貢納帝国を運営していました。
天体を驚くほど精密に観測し、暦を編む人々でもありました。
そして1521年、そのすべてがスペインのコルテスとその先住民の同盟軍の前に崩れ落ちます。
私たちが彼らの信仰を知ることができるのは、征服の直後に書き留められた『太陽たちの伝説(Leyenda de los Soles)』のような文書や、あの巨大な石の円盤「太陽の石(ピエドラ・デル・ソル)」が残されたからです。1

つまり彼らは、暗闇の中を手探りで歩く「未開の民」ではありません。
高度に組織された、洗練された都市の民でした。
だからこそ、彼らが世界の中心に置いた神話が、いっそう際立って見えるのです。

「五つの太陽」とは何か

アステカの人々は、宇宙が一度きり創られてそのまま続いている、とは考えませんでした。
宇宙は創られ、滅ぼされ、また創り直される――その営みが五つの時代にわたって繰り返されてきた、と考えたのです。
それぞれの時代には「太陽」があり、一柱の神が支配しました。
そのうち四つの太陽は、すでにそれぞれ異なる破局によって滅んでいます。
私たちは、五番目の太陽の中に生きています。

彼らの伝える順序は、こうです。

第一の太陽「四のジャガー」。
神テスカトリポカが支配し、巨人たちが住むこの世界は、闇の中から現れたジャガーの群れに食い尽くされて終わりました。

第二の太陽「四の風」。
羽毛の蛇ケツァルコアトルが支配したこの世界は、巨大な暴風に引き裂かれ、生き延びた者はに姿を変えられました。

第三の太陽「四の雨」。
雨の神トラロックが支配したこの世界に降ったのは、水ではなく火の雨でした。
世界は燃え、人々はになりました。

第四の太陽「四の水」。
水の女神チャルチウィトリクエが支配したこの世界は、大洪水に沈み、人類はへと姿を変えました。

第五の太陽「四の動き」。
私たちの時代であり、太陽神トナティウが支配します。
この太陽は、廃墟となった都市テオティワカンで生まれました。
闇の中に神々が集まり、ナナワツィンという貧しく病んだ神が炎に身を投じて、新しい太陽になったのです。
けれども太陽は、動きませんでした。
他の神々が一柱また一柱と自らを犠牲に捧げて、ようやく太陽は空を巡りはじめました。
そしてこの時代は、地震によって終わると伝えられています。

ジャガー、風、火、水、動き。
どの破局も、現実の自然の力です。
そしてどの終わりも、きれいな死ではなく変身でした。
人は猿になり、鳥になり、魚になる――人と生き物のあいだの境目は、最後まで溶けたままなのですね。

なぜ、この神話が重要なのか

物語を世界観へと変えているのは、次の一点です。

五番目の太陽は犠牲から生まれ、神々が自らの血を与えたからこそ動きはじめました。
ここからアステカの人々は、ある冷厳な結論を引き出します。
――太陽は、保証されていない。
それは養われなければ止まってしまう、頼りない一つの炎なのだ、と。

英語で犠牲を意味する sacrifice という言葉は、ラテン語の sacer(聖なる)と facere(作る)に由来し、もともと「聖なるものにする」を意味していました。
つまり犠牲とは、何かを失う行為である以前に、世界を聖なる状態へと作り直す行為だったのですね。
アステカにとって供犠とは、残酷さのためのものではなく、世界を運転しつづけるための宇宙の保守点検でした。
太陽を生んだ神々の犠牲に、人間が血で応える。
彼らは自分たちを、宇宙を回しつづける共同責任者だと考えていたのです。

ここには、まったく異なる時間の観念も畳み込まれています。
文化人類学には「cyclical time(循環的時間観)」という概念があります。
西洋の伝統が時間を、始まりと終わりを持つ一本の線として捉えがちなのに対し、アステカは時間を破局の繰り返しとして見ていました。
世界はつねに仮のものであり、いつでも一つの災害でリセットされうる。
五番目の太陽の下に生きるとは、自分たちの時代が最初でも最後でもないと知りながら、借りものの光の下で生きることでした。

その神話は、当時の暮らしについて何を語るか

神話は、決してただの空想ではありません。
それを生んだ人々の暮らしを映す鏡です。
そして「五つの太陽」は、アステカの生を驚くほど正直に映し出しています。

彼らは自然の意のままに生きていました。
それぞれの世界を滅ぼすものを見てください。
獣、暴風、空から降る火、洪水、地震。
これらはまさに、火山と地震に揺れ、干ばつと洪水に挟まれた中央メキシコの盆地の災害そのものです。
空にすべてを委ねる農耕の民が、その空にこそ繰り返し殺される宇宙観を築きました。
この神話は、現実の災害の記憶でもあるのです。

彼らは循環と暦に取り憑かれていました。
宇宙全体を繰り返す時代へと分類する文化は、循環によって生きる文化です。
種蒔きと収穫、雨季と乾季、金星と太陽の運行。
「五つの太陽」は、いわば宇宙規模の農事暦なのですね。

彼らは人と生き物を地続きに見ていました。
人はただ死ぬのではなく、猿になり、鳥になり、魚になります。
それは、人間と他の生き物のあいだに固い線を引かなかった人々の感覚を伝えています。
人間は数ある姿の一つにすぎず、世界が変われば別の姿へと滑り込んでいく存在でした。

彼らは生存を共同の務めだと信じていました。
太陽が動きつづけるために養われねばならないのなら、世界を生かしつづける仕事は全員のものになります。
祭司も、戦士も、畑を耕す一人ひとりも。
その信念が、共有された切実な責任のまわりに社会全体を結び合わせていたのです。

借りものの光

細部を取り払えば、「五つの太陽」が差し出すのは、五百年を経てなお届く一つの伝言です。
――あなたが生きているこの世界は、当たり前に与えられたものではない。
それは創られたものであり、壊れうるものであり、回しつづけるには手をかけねばならない

アステカの人々は、その考えを石に刻み、その下で毎日を生きました。
彼らの答えをどう受け取るにせよ、彼らが立てていた問い――自分たちを支える世界に、私たちは何を返すのか――は、いまも一日たりとも古びていません。

夜、手のひらに残る一杯の温もりを確かめるとき。
その温もりも、当たり前に湧いてくるものではないのだと、ふと思い出せますように。


※ 姉妹編を書きました。生まれた日からその人を読むこの発想が、アステカと東洋の暦でどう響き合うのかは、「生まれた日が、その人を語る」へ。


  1. 「五つの太陽」の主要な典拠は『太陽たちの伝説(Leyenda de los Soles, 1558年、コデックス・チマルポポカ所収)』および『絵によるメキシコ人の歴史(Historia de los Mexicanos por sus Pinturas)』。破局や変身の細部は写本によって少しずつ異なる。太陽の石(ピエドラ・デル・ソル)中央の顔は太陽神トナティウとする説が広く知られている。 

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