巨人は、たしかにそこに埋まっていた ―― 神話という記憶装置の話

大地を掘ると、ときおり途方もなく大きな骨が出てくることがあります。
腕の骨が一本、人の背丈ほどもある。腿の骨は、大人が両腕で抱えても余る。
古代の人々はそれを見て、ひとつの結論にたどり着きました。
――昔、ここには巨人が住んでいたのだ、と。

アステカの人々も、ギリシャの人々も、北アメリカの平原に暮らした人々も、たがいの存在を知らないまま、同じ物語を語りました。
かつて巨人の種族がこの地を歩いていた、と。

大地から出てくる巨人

長いあいだ、私たちはこうした話を、素朴な空想として片づけてきました。
けれども、その骨が何であったかを、いま私たちは知っています。
マンモス。マストドン。氷河期を生きた、巨大な獣たちの骨です。

つまり「昔ここに巨人がいた」という神話は、でたらめではありませんでした。
それは、正しい観察だったのです。
地層という言葉も、絶滅という概念も持たない人々が、目の前の証拠から引き出した、まっとうな推論。
ただ、その巨大な骨の持ち主を、獣ではなく人と取り違えただけでした。

もし「巨人」の神話が、ほんとうに埋まっていた骨の記憶だったのなら。
では、ほかの神話は、どうでしょう。
空から火が降った物語。世界が水に沈んだ物語。太陽が消え、闇が獣のように大地を呑んだ物語。
それらもまた、だれかがほんとうに見たものの、記憶なのではないでしょうか。

神話を、読み解く

この問いを、まじめに追いかける学問があります。
地質学者ドロシー・ヴィタリアーノが1973年に名づけた、ジオミソロジー(地質神話学)です。
神話のなかに、実際に起きた地質学的な出来事――噴火、地震、洪水、津波――の記憶が畳み込まれていないかを、読み解こうとする試みです。
古典学者エイドリアン・メイヤーは、あの巨人と化石の骨の結びつきを、丹念な調査で裏づけました。1

誤解のないように言えば、これは「失われた超古代文明」の類の話ではありません。
神話がそのまま歴史の記録である、と言い張るものでもない。
そうではなく、もっと控えめで、それゆえにもっと強い主張です。
――人の記憶は、災害を覚えている。そしてその記憶を、物語という形で、驚くほど遠くまで運ぶことができる。

忘れないために作られた装置

考えてみれば、当たり前のことかもしれません。
文字を持たない社会にとって、いちばん手放してはならない知識は、何だったでしょう。
どこで大地が人を殺すのか。空はかつて、何をしたのか。
それは命に関わる知識であり、何世代も超えて、正確に伝えねばならないものでした。
けれど、伝える手立ては限られていた。石板もなく、紙もない。
手もとに残されたのは、物語と、儀式と、歌だけです。

だから人は、物語を記憶装置として作りあげました。
覚えやすく、語りやすく、そして何より、忘れにくいように。
神々を登場させ、筋を与え、幾度でも語りなおせる形にする。
神話は、未開の時代の稚拙な科学ではありませんでした。
文字が生まれる前の人類にとって、これ以上ない記録の媒体だったのです。

ちなみに、私たちがいまも使う災害という言葉を、英語では disaster といいます。
ラテン語まで遡ると、dis(凶い)と astro(星)、つまり「凶い星」。
天が地上に禍いをもたらすという、あの古い実感が、言葉の芯にまだ残っているのですね。

記憶という名の、母

そのことを、ギリシャの神々自身が、よく知っていたように思えます。
詩と芸術をつかさどる九柱のムーサ――英語でミューズと呼ばれる女神たち――には、母がいます。
その名を、ムネモシュネといいました。「記憶」を意味する言葉です。
つまりギリシャの人々は、あらゆる物語も、詩も、歌も、記憶を母として生まれてくると考えていた。
神話は、記憶の娘なのです。

とすれば、ジオミソロジーがしていることは、こう言い換えられます。
きらびやかに着飾った娘たちの装いを、そっと脱がせてみる。
そして、その下にいる母の顔――ほんとうに起きた出来事――を、もう一度見ようとすること。

体もまた、覚えている

ここまで来て、ひとつのことに気づきます。
記憶を世代を超えて運ぶ仕組みを、人はもうひとつ、持っているのです。
それは、体です。

私たちの体は、祖先が生き延びた飢えを、いまも覚えています。
だから脂肪を蓄え、食を断てば、眠っていた回復の仕組みが目を覚ます。
断食が体を癒すのは、体が飢餓の記憶を、まだ手放していないからです。
遺伝子と代謝は、語られることのない神話のようなもの。
何万年も昔の暮らしを、細胞の奥に畳み込んだまま、運びつづけています。

つまり私たちは、二つの媒体で、祖先の記憶を受け継いでいます。
体は、飢えを。物語は、災いを。
どちらも、生き延びた者たちが、次に来る者を生かすために書き残した手紙です。
片方は肉の中に、もう片方は言葉の中に。

語り継ぐ口

空から火が降ったという物語が、いま、あなたのもとに届いているとします。
その物語は、どれほどの口を渡ってきたのでしょう。
語り手から語り手へ。祖母から孫へ。
おそらく何百もの人が、順ぐりに、それを次の誰かへ手渡してきました。
そのうちのひとりでも語るのをやめていたら、記憶はそこで途切れていた。

神話が荒唐無稽に見えるのは、私たちがその母の名を、忘れてしまったからかもしれません。
けれど娘たちは、まだ何かを覚えています。
巨人は、たしかにそこに埋まっていた。
だとすれば、彼らはほかに何を、覚えているのでしょう。


※ この「神話は記憶かもしれない」という見方を、世界が四度滅んだと説くアステカの神話にあてはめてみた話を、別に書いています。「五つの太陽」の物語へ。


  1. Dorothy B. Vitaliano, Legends of the Earth: Their Geologic Origins (Indiana University Press, 1973) — coined the term geomythology.

    Adrienne Mayor, Fossil Legends of the First Americans (Princeton University Press, 2005) and The First Fossil Hunters (Princeton University Press, 2000) — on the fossil bones behind giant and monster legends.

    Elizabeth Wayland Barber & Paul T. Barber, When They Severed Earth from Sky: How the Human Mind Shapes Myth (Princeton University Press, 2004) — on how oral tradition preserves the memory of real events.

    On Mnemosyne (Memory) as the mother of the Muses: Hesiod, Theogony

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