ミトコンドリアは、わざとエネルギーを「漏らして」いる

前回、消えた「8個のATP」は、どこへ行ったのかという記事を書きました。
学校で「38個」と習った数字が、いまでは「およそ30〜32個」に見直されている——その理由をたどると、最後に一つ、意外な行き先が残りました。
漏れて、熱になっているエネルギーです。

今回は、その「漏れ」を、もう少し近くで見てみます。
なぜ体は、せっかく貯めたエネルギーを、わざわざ漏らしているのか。
そこには、「効率」よりも大切にしているものがありました。


1. 漏れたエネルギーは、どこへ行くのか

おさらいです。
ミトコンドリアは、水素イオン(プロトン)を膜の外へ汲み出し、その「戻る勢い」でATPを作ります。
ダムに水を貯めて、水車(ATP合成酵素)を回すイメージでした。

ところが、貯めたプロトンは、全部が水車を通るわけではありません。
一部は、水車を通らずに、膜のすきまから漏れて戻ってしまう。
これが「プロトン漏れ」です。

漏れたぶんは、ATPになりません。
そのエネルギーは、熱に変わります。

これは、ごくわずかな現象に聞こえるかもしれません。
でも、量はばかになりません。
研究者の推計では、あなたが安静にしているときに使うエネルギーの、2割ほどが、この漏れに充てられているといいます。
つまり、私たちの体温のかなりの部分は、「ATPを作りそこねたエネルギー」から生まれているのです。


2.「わざと漏らす」ための、専用装置

漏れには、二種類あります。

一つは、どんな細胞でも起きている、自然なにじみのような漏れ。
もう一つは、体が「いま、熱がほしい」と判断したときに、意図的に開ける漏れです。

後者を担うのが、UCP(脱共役タンパク質)と呼ばれる装置です。
「脱共役」とは、「ATPを作る仕事と、プロトンの流れとを、切り離す」という意味です。
UCPが開くと、プロトンはATP合成酵素を通らず、UCPを通って戻る。
ATPではなく、熱だけが生まれます。

このUCPをたくさん備えているのが、褐色脂肪という組織です。
「脂肪」と聞くと、溜め込むイメージがありますが、褐色脂肪は逆で、燃やして熱を作るための脂肪です。
首から肩、背中、心臓の上あたりに多くあります。
寒い場所に出たとき、体が震え出す前に、まずこの褐色脂肪が熱を作って体を温める——これを「非ふるえ熱産生」といいます。

かつて、褐色脂肪は赤ちゃんだけのものと考えられていました。
しかし近年、大人の体にも残っていることが分かっています。


3. なぜ、効率を捨ててまで熱を作るのか

ここで、素朴な疑問が浮かびます。
エネルギーは貴重なはずなのに、なぜ体は、わざわざ漏らして捨てるのでしょうか。

答えは、二つあります。

一つは、単純に、熱そのものが要るから。
体温を保てなければ、体内の酵素は働かず、私たちは生きられません。

もう一つが、本質的です。
プロトンを漏らさず、すべてをATPに変える「効率100%」の状態は、実は危険なのです。
プロトンを貯めすぎると、膜にかかる圧が上がり、電子を運ぶラインが渋滞します。
すると、あふれた電子から活性酸素(ROS)——細胞を傷つける不安定な分子——が生まれやすくなります。

少し漏らして圧を抜くことは、この活性酸素の発生を抑える「安全弁」でもあるのです。
ミトコンドリア研究者は、これを「生き延びるための脱共役(uncoupling to survive)」と呼びました。

だから体は、あえて「およそ30個」で止めています。
「38個」まで攻めない。
残りは、体温と、細胞の安全のために回す。
効率を最後まで追わないことが、長く生きるための設計だったのです。


4. だから「冷え」は、「漏らしすぎ」ではない

ここで、一つ誤解をほどいておきます。

「漏れが熱になる」と聞くと、こう思うかもしれません。
——では、エネルギーが低くて、いつも疲れている人は、漏れが多くて、体が熱いのだろうか、と。

実は、逆です。

冷えて、だるい——そういう状態は、「漏らしすぎ」ではなく、「熱を作る力そのものが落ちている」ことのほうが、ずっと多いのです。
ミトコンドリアの働きが弱っていたり、燃料がうまく届いていなかったり、褐色脂肪が減っていたり。
炉が小さければ、いくら効率が悪くても、熱の総量は小さく、体は冷えます。

もし本当に漏れが大きければ、人はむしろ「暑く」なります。
実際、甲状腺のはたらきが過剰な人は、漏れも代謝も高く、暑がりになります。

だから「冷え」は、気のせいでも、「体質」の一言で片づける話でもなく、「熱を作る仕組み」の問題として見ることができます。


最後に。

「38」が「およそ30」に変わったとき、私たちが本当に見つけたのは、新しい数字ではありませんでした。
体は、エネルギーの最大化を目指してなどいない——という、設計思想のほうでした。
その最初の証拠が、この「わざとの漏れ」だったのです。

そして、同じプロトンの勾配は、熱だけでなく、もう一つのものを生み出しています。
長いあいだ「悪者」として語られてきた——活性酸素です。
次回は、その話をします。


出典

Brand MD, Nicholls DG. “Assessing mitochondrial dysfunction in cells.” Biochemical Journal. 2011;435(2):297-312.

Cypess AM, et al. “Identification and importance of brown adipose tissue in adult humans.” New England Journal of Medicine. 2009;360(15):1509-1517.

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