title: ノーベル賞受賞者の半分は、受賞者の弟子だった
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categories: プライマル/人類史
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ノーベル賞を受けた科学者の半分以上は、すでにノーベル賞を受けた人のもとで学んでいました。
師のいる場所に、賞が集まっている。
では受け継がれていたのは何かというと、知識ではありませんでした。
受け継がれていたのは、どの問題に人生を賭ける値打ちがあるか、という目利きです。
米国の受賞者を全員たどった社会学者ハリエット・ザッカーマンが、1977年にこれを報告しています。
同じ大学にいて、同じ装置を使い、同じ論文を読んでいる人たちのあいだで、最後に差をつけたのは、頭の良さでも勤勉さでもなかった。
普通の研究者は「解ける問題」を選び、抜きん出た研究者は「大事な問題」を選んで、解けるところまで持っていく。
その選び方だけが、人から人へ伝染していました。
受賞者と、同じくらい優秀なのにそこまで届かなかった科学者。
この2つの集団を比べる研究は、その後いくつも重ねられています。
そこで繰り返し浮かび上がってきた条件が、7つあります。
1 誰の下についたか
賞そのものが遺伝するわけではありません。
移っていたのは、大きな問題に手をつけてよい、という確信のほうです。
解ける問題を選べば、論文にはなります。
けれど解ける問題は、たいてい誰かがもう解きかけている。
どこに賭けるかを決める感覚は、正解が20年後にしか分からないので、書物からは学べません。
それを持っている人のそばで、何年も見ているしかない。
2 変な数字を捨てない
のちに物理学賞を受けるペンジアスとウィルソンの2人は、アンテナに残る雑音を消そうとして、鳩の糞まで掃除しました。
それでも雑音が消えない。
装置の不具合として片づけず、そのまま追いかけた先にあったのが、宇宙の始まりの名残でした。
必要だったのは、粘りではありません。
データがきれいであってほしい、と願わないことでした。
多くの発見は、他の人が「測り間違い」として捨てた場所に落ちています。
社会学者ロバート・マートンは、この形の発見が科学史に繰り返し現れることに気づき、セレンディピティという語を学術の言葉として定着させました。
3 皆と違う判断ができる。ただし、自分の間違いを確かめる手を持っている
胃の潰瘍は菌が原因だと主張した医師は、誰にも信じてもらえませんでした。
最後は自分でその菌を飲んで、自分の胃を潰瘍にしてみせています。
のちの医学賞です。
結晶の常識に反する構造を見つけた化学者は、その分野の最高峰の権威から「準科学者」と呼ばれました。
それでも引かず、のちに化学賞を受けています。
ここまでなら、信念の強さの話に見えます。
けれど、大事なところはその手前にあります。
皆と違うことを言う人の大半は、単に間違っています。
分かれ目は、思いの強さではありません。
自分が間違っていたと分かる手立てを、先に用意しているかどうかです。
菌を飲んだ医師は、飲めば決着がつくと知っていました。
結晶の写真は、他の誰が撮っても同じものが写ります。
異論そのものではなく、異論に決着をつける方法を握っていたほうが残りました。
4 とにかく数を出す
傑作の数は、出した総数にほぼ比例していました。
打率のほうは、一流同士だとあまり変わらない。
心理学者ディーン・キース・サイモントンが、創作の記録を大量に集めて確かめたことです。
つまり必要な気質は、集中力でも完成度でもなく、うまくいかなかったものを世に出し続けられることでした。
さらに近年、物理学者たちの生涯の論文をたどった研究が、もう一段やっかいなことを示しています。
その人の生涯最高の仕事が何本目に出るかは、ほとんど巡り合わせでした。
経験を積んで精度が上がるわけでも、若いうちに閃くわけでもない。
当たりの順番は選べないので、打ち続けるほかない、ということになります。
5 畑を移っている
移住した人、分野を移った人が、受賞者には不釣り合いに多くいます。
物理から生物へ移った人たちが、遺伝の仕組みを開いたのは、その代表です。
理由は単純で、自分の畑では当たり前の道具を、それが目新しく映る畑へ持ち込めるからでした。
頭の良さではなく、立ち位置の話です。
6 手を動かす趣味を続けている
音楽、絵、木工、文章。
受賞者を、科学アカデミーの会員や一般の研究者と直接比べた調査があります。
仕事とまったく関係のない手仕事を長く続けている人が、受賞者の側に際立って多く残りました。
ここは、あとでもう一度戻ってきます。
7 評価されない20年、30年を越えている
仕事が世に認められるまで、20年から30年かかるのが普通です。
30代の仕事が、60代で表彰される。
その間、その仕事が正しかったという知らせは、どこからも届きません。
賞は死者には贈られませんから、長生きも実質的な条件になります。
7つのうち6つは、ヒトの設計に逆らっている
ここまで並べてみると、奇妙なことに気づきます。
25年後に返ってくる報酬に耐えるための回路を、ヒトは持っていません。
狩りの成果はその日のうちに、木の実の実りはその季節のうちに返ってきました。
四半世紀、何の知らせもないまま同じ方向を掘り続ける、という行動に報酬を出す仕組みは、進化の側に用意がない。
失敗の扱いも逆転しています。
狩りの失敗は、その場で消えました。記録は残りません。
いまは、うまくいかなかった仕事のほうが記録に残ります。
論文にも、業績表にも、検索結果にも。
失敗が消えなくなった世界で、失敗を出し続けろというのが、4番目の条件です。
異論の代償は、もっと古い。
群れから外れることは、かつて死に直結していました。
多数と違う判断に、いまも古い警報が鳴るのは、その名残です。
だとすれば、科学という営みが発明したものが見えてきます。
正しさの審判を、立場から証拠へ移したこと。
偉い人が言ったから正しい、を、確かめられるから正しい、に置き換えたこと。
3番目の条件が「異論」と「確かめる手」の2つでできているのは、そのためでした。
確かめる手のほうが、異論を生き延びさせる装置です。
そして6番目。
考えることと手を動かすことが別々の作業になったのは、せいぜいここ数百年のことです。
石を打ち、獣の足跡を読み、罠を組み、器を焼く。
ヒトの思考は、ほとんどの期間、手と一緒に動いていました。
だとすれば、受賞者に手仕事が多いのは、趣味が創造力を高めたという話ではないのかもしれません。
切り離されたものを、切り離さずにいた。
それだけのことのようにも読めます。
手を使わない思考のほうが、ヒトにとっては新しくて、例外的なやり方です。
いちばん古い条件が、いちばん最近に手放された
7つのうち、ヒトが元から持っていた条件はひとつだけあります。
1番目、誰の下についたか、です。
特定の熟練者に何年もついて、手つきを見て、判断を盗む。
これはヒトの学習のいちばん古い形で、石器の作り方も、薬草の見分け方も、そうやって渡ってきました。
言葉で説明しきれないものを渡すために、ヒトはこの方法を選んでいます。
現代の教育は、それを教室と教科書に置き換えました。
1人の師から10人が学ぶかわりに、1人の講義を1000人が聞けるようにするためです。
人数の効率としては、正しい設計でした。
ただ、こうして並べてしまうと、順番の妙が残ります。
受賞者を分けた条件のうち、いちばん確実に効いていたものが、いちばん古い形の学びで、そして近代がいちばん熱心に効率化した対象でもあった。
抜きん出た人だけの話ではない
ここまでは受賞者の話ですが、7つのうち、その人の性質といえるものは4つしかありません。
変な数字を捨てないこと。
皆と違う判断ができて、間違いを確かめる手を持っていること。
数を出すこと。
手を動かす習慣が続いていること。
残る3つ ―― 誰の下についたか、畑を移ったか、長く続けられたか ―― は、置かれた場所と経歴の話です。
性格ではありません。
ここに、この話がふだんの仕事につながる場所があります。
成果が出ていない人を見たとき、頑張りが足りないと読む前に、置き場所がその人の作りと噛み合っているかを先に見られる。
数を出せる人を、完成させてから出す部署に置いていないか。
異論を言える人に、確かめる手立てを渡しているか。
手を動かす時間を、忙しさを理由に取り上げていないか。
そして最後に、この7つ全部をそろえた人はいません。
受賞者にもいない。
足りないところは誰にでもあって、埋まっていた人は、埋めてくれる場所か、埋めてくれる人の隣にいました。
冒頭の、半分が弟子だったという話に戻ります。
賞が師から弟子へ渡っていたのではなく、渡っていたのは「どこを掘るか」の感覚のほうでした。
それは論文にも教科書にも書けないので、隣で見ているあいだに移るしかない。
自分の手が、いまどこを掘っているのか。
その手つきを誰から受け取ったのか。
思い当たる人の顔が、ひとつでも浮かびますように。