ダイエットをした人なら、誰でも一度は経験したことがあるはずです。
最初の数週間、順調に体重が落ちる。鏡の前で少し背筋が伸びる。
ところが、ある日を境に「お腹が空く」感覚が変わる。今までと同じ食事量では物足りない。気がつくと、戻していた。
これを「意志が弱かった」「努力が足りなかった」と片付けてきたのが、20 世紀のダイエット文化です。
しかし 2011 年、オーストラリアの研究所が、この常識を生理学的に覆す論文を出しました。ダイエット後の体は、痩せた状態を「異常」と認識し、複数のホルモンを連動させて元の体重に戻そうとする。しかも 1 年経っても、その反応は消えない。
体は、覚えているのです。「太っていた頃」を。
研究の組み立て
論文は Sumithran ら(2011 年、New England Journal of Medicine 365 巻 1597-1604 ページ)です。オーストラリア・メルボルンの Austin Health で実施されました。
研究の問いはシンプルです。
ダイエットで体重を落とした後、食欲・体重を制御するホルモンは、もとの「正常」に戻るのか?
50 名の肥満患者(BMI 27〜40、糖尿病なし)を集めて、10 週間の超低カロリー食(500〜550 kcal/日)を実施。平均 13.5 kg、初期体重の約 14% を減量しました。
そこから 1 年間、追跡を続けます。
測定するのは食欲を制御するホルモン 9 種類(レプチン、グレリン、ペプチドYY、コレシストキニン、胃抑制性ポリペプチド、GLP-1、アミリン、膵ポリペプチド、インスリン)と、被験者本人による「お腹が空いた」の自己評価(視覚的アナログ尺度、VAS)。
時点は 3 つ — 減量前(ベースライン)/10 週時点(減量直後)/62 週時点(減量から 1 年後)。
衝撃の所見:満腹ホルモンが、戻らない
レプチン (leptin) はギリシャ語の leptos(痩せた)を語源とするホルモンです。脂肪細胞から分泌され、視床下部に「満腹だ、食べなくていい」と伝える役割を持ちます。
減量前から減量直後の 10 週時点で、レプチンは 64.5% も低下しました。これは予想通りです。脂肪が減ればレプチンも減る。
問題はその後です。
1 年後の 62 週時点でも、レプチンは 減量前より 35.5% 低いまま。体重は一部戻り始めているのに、満腹ホルモンは戻りきっていない。
つまり 1 年経っても、体は「満腹だ」とは言えなくなっているのです。
衝撃の所見:空腹ホルモンが、消えない
グレリン (ghrelin) は胃から分泌される空腹ホルモンです。胃が空くと血中レベルが上がり、視床下部に「食べろ」と訴える。
減量直後、グレリンは有意に上昇しました。これも予想通りです。
しかし 1 年後、グレリンは 減量前よりまだ高いまま。
空腹を訴えるシグナルが、減量から 1 年経っても消えない。「もっと食べろ」と体が言い続けている。
主観も裏付ける:本人が実際に「お腹が空く」と感じ続けていた
ホルモン値だけではありません。
被験者は視覚的アナログ尺度(VAS)で、自分の空腹感を 100mm のラインで自己評価していました。
その結果:
1 年後、減量前と比較して、空腹感、食欲、食事への先取り(食べることを考える時間)、食べ物への執着 すべてが有意に強くなっていました。
血中ホルモンが示すことを、本人の主観が完璧に同期して感じている。
これは偶然ではありません。内側のシグナルと、外側の意識が、同じ方向を向いているということです。
8 つのホルモンが、組織的に「戻せ」と動く
論文の最も衝撃的な発見は、変化したホルモンの 数 です。
低下したもの:
– レプチン(満腹ホルモン)
– ペプチドYY(食欲抑制)
– コレシストキニン(食欲抑制)
– インスリン(血糖調整)
– アミリン(食欲抑制)
上昇したもの:
– グレリン(空腹ホルモン)
– 胃抑制性ポリペプチド(エネルギー貯蔵促進)
– 膵ポリペプチド(食欲抑制 — これだけ「戻せ」とは逆方向)
合計 8 種類のホルモンが、ほぼすべて 「体重を戻せ」方向に揃って動いたのです。
これが意味するのは、体は単一のホルモンで体重を制御しているのではなく、多重防御の冗長な系として体重セットポイントを守っているということ。
8 つのうち 1 つを意識的に抑えても、残りの 7 つが動く。
これが、ダイエットの 95% がリバウンドする生理学的な理由です。
著者自身の結論:意志ではない、生理学だ
論文の最終段落で、著者はこう書いています。
“the high rate of relapse among obese people who have lost weight has a strong physiological basis and is not simply the result of the voluntary resumption of old habits.”
リバウンドは「自分の意志で古い習慣を再開した結果」ではない。
強い 生理学的基盤 がある現象である。
これは、ダイエット文化全体への挑戦です。
「あなたが太ったのは意志が弱いから」
「リバウンドしたのは努力が足りないから」
「もっと食事量を減らせばいい」
すべての前提が、この論文の前で崩れます。
体重セットポイントに、生理学的な裏付けが与えられた
これまで 体重セットポイント (body weight set point) という仮説は、行動学・観察的なレベルで提唱されていました。
「人の体重は、あるセットポイントの周りに揺らぐ。減らそうとしても戻ろうとする、増やそうとしても戻ろうとする」
しかし「セットポイントとは何か」「どこに記録されているのか」「どう守られているのか」は、議論が続いていました。
Sumithran 2011 は、このセットポイントに 8 種類の血中ホルモンと、それに同期した主観的食欲という形で生理学的な実体を与えた論文です。
体は「痩せていた頃の自分」を覚えているのではない。
「太っていた頃の自分」を新しい基準として記憶している。
そこから外れると、複数のホルモンを連動させて戻そうとする。
これが、セットポイントの正体です。
では、突破口はどこにあるか
Sumithran 2011 が告発したのは、明確に カロリー制限 (caloric restriction) という機序です。
「食べる量を減らす」というアプローチは、体に「飢餓だ、戻せ」というシグナルを発生させ、複数ホルモンの代償反応を引き起こす。
だから、いくら頑張っても、ホルモンが戻す方向に働き続ける。
しかし、別の機序はどうか?
- 断食 — 食事の有無を時間軸で切り分ける。総カロリーを長期間下げ続けるわけではない
- ケトン代謝 — 糖から脂質代謝への基質スイッチ(substrate switch)。グレリン/レプチンへの影響パターンが異なる(Stubbs et al. 2018 Obesity で、ケトンエステル飲料がグレリンを低下させることが示されている)
- タンパク質中心 — プロテイン・レバレッジ仮説。満腹感が制御される別の経路
これらは「カロリー制限」とは異なる回路を通る可能性があります。
つまり、Sumithran 2011 はダイエット全般を否定する論文ではありません。
**「食事制限だけの戦略は、生理学的に持続困難に設計されている」**ことを示した論文です。
そこから別の機序を探す、というのが現代の代謝研究の方向です。
結びに
人の体は、私たちが思っているより遥かに 記憶力が高く、意志を持って動いている。
「太った体は、太った状態を新しい基準として記憶する」
「そこから外れることに、複数のホルモンが連動して抵抗する」
「その抵抗は、1 年経っても消えない」
これを「意志の弱さ」と読むのは、体に対して不当だと思います。
私たちが本当に学ぶべきは、体が何を「異常」と認識し、何を基準として守ろうとしているのか — その記憶を、書き換えるためにはどの機序が必要なのか、です。
Sumithran 2011 は、その問いを開いた論文でした。
引用
Sumithran P, Prendergast LA, Delbridge E, Purcell K, Shulkes A, Kriketos A, Proietto J. 2011. “Long-Term Persistence of Hormonal Adaptations to Weight Loss.” New England Journal of Medicine 365(17):1597-1604.
DOI: 10.1056/NEJMoa1105816
論文ページ: https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1105816
関連:
– Stubbs BJ et al. 2018. “A ketone ester drink lowers human ghrelin and appetite.” Obesity 26:269-273.
– Müller MJ et al. 2015. “Metabolic adaptation to caloric restriction and subsequent refeeding: the Minnesota Starvation Experiment revisited.” Am J Clin Nutr 102:807-819.