7万年前、空が灰に覆われた ―― トバ巨大噴火と「人類絶滅」説のゆくえ

いまから7万年ほど前、スマトラ島で、地球が経験しうる最大級の噴火が起きました。
降り積もった火山灰は、地球の表面のおよそ7.5パーセントを覆ったといいます。
そして長いあいだ、この一度の噴火が、私たち人類を絶滅の淵まで追い込んだと信じられてきました。
けれども、その物語のほうが、いま覆されようとしています。

トバとは何だったのか

トバは、いまのインドネシア、スマトラ島のトバ湖のある場所で噴火しました。
時期は、約7万4000年前。
精密な年代測定では、7万3700年前ごろと絞り込まれています。1

その規模は、桁がちがいます。
火山爆発指数は、最大の8。
過去260万年で最大、地球の歴史全体でも最大級の噴火でした。
噴き出した物質は、およそ3800立方キロメートル。
あとに残されたのが、長さ100キロにおよぶトバ湖の巨大な窪地です。

噴火の本当の凄みは、灰の広がりにあります。
厚さ1センチ以上の灰が積もった範囲は、3800万平方キロメートル。
地球の表面の、およそ7.5パーセントに達しました。
インド亜大陸には、5センチ。
遠く離れた東アフリカの湖の底からも、この時の灰が見つかっています。
一度の噴火の灰が、大陸をいくつも越えて降り積もったのです。

「人類は、あと数千人まで減った」

この途方もない噴火は、ひとつの鮮やかな仮説を生みました。

1998年、人類学者のスタンレー・アンブローズが唱えた説です。2
噴き上げられた灰と硫黄が太陽をさえぎり、6年から10年におよぶ「火山の冬」が訪れる。
地球は凍え、食べ物は尽き、人類はわずか3000人から1万人にまで激減した――。

この考えは、遺伝的ボトルネックという概念と結びついて広まりました。
ボトルネックとは、瓶の首のことです。
瓶を傾けても、中身は細い首を一度に少ししか通れません。
それと同じように、ある時期に集団がごく少数まで絞られると、その首を通り抜けた者の遺伝子だけが、後の世に伝わります。
現代人の遺伝的な多様性が驚くほど小さいのは、私たちがみな、トバを生き延びた数千人の子孫だからだ。
そう説明されたのです。

人類が、絶滅の一歩手前で首の皮一枚つながった。
この物語は、25年ものあいだ、教科書を支配しました。

だが、地面はちがうことを語っていた

ところが、実際に土を掘る人々は、別の光景を見ていました。

インド南部のジュワラプラムでは、トバの厚い灰の層の上と下から、ほとんど同じ形の石器が出てきます。
灰をはさんで、人の暮らしは途切れていなかったのです。3
南アフリカのピナクル・ポイントでは、人々はこの噴火の時期を通じて、むしろ栄えていました。
東アフリカのマラウイ湖の底の記録も、灰のあとに生態系が崩れた跡を示しません。
影響はあっても、せいぜい10年に満たない、穏やかなものでした。

氷にも、証拠は残っています。
噴火の前の寒い時期と、あとの寒い時期を比べても、あとのほうが特別に寒くなってはいませんでした。
つまりトバは、寒冷化を決定的に悪化させてはいなかったのです。

大噴火が起きたことは、まちがいありません。
けれども、人類がそれで絶滅寸前まで追い込まれたという筋書きは、いまやほぼ覆されています
私たちの祖先は、この物語が言うよりも、はるかにしたたかに生き延びていました。

なぜ、この話が大切なのか

英語で大災害を意味する catastrophe という言葉は、ギリシャ語の katastrophē(下へ・ひっくり返す)に由来し、もともと「ひっくり返ること」を意味していました。
トバは、たしかに地球をひっくり返すような噴火でした。
けれども本当に面白いのは、その大災害を語った仮説のほうが、あとからひっくり返されたという点です。

これは、私たちが自分たちの起源をどう語るか、という話でもあります。
ひとつの鮮やかな物語が、四半世紀にわたって定説の座につき、そしてゲノム解析と、地面を掘る手と、氷の記録によって、一つずつ退けられていく。
科学は、答えを一度出して終わりにはしません。
魅力的な物語ほど、証拠に問い直され続けるのです。

そして、もうひとつ。
トバは、いまも私たちが備えるべき巨大噴火の、ものさしであり続けています。
イエローストーン、カンピ・フレグレイ。
一度目覚めれば地球規模で気候を揺らす噴火が、この星にはまだ眠っているのです。

空が晴れたあとで

想像してみてください。
空が灰に覆われ、太陽がかすみ、夕日がいつまでも赤く燃えた、あの数年を。
私たちの祖先は、その下をくぐり抜けました。
ぎりぎり運よく生き延びたのではありません。
寒さと飢えに耐える身体と、火を絶やさぬ知恵を、すでに携えていたからです。

いま、あなたの中にも、その祖先から受け継いだしたたかさが、たしかに流れています。
灰の空を越えてきた者たちの体温が、手のひらのぬくもりのなかに、まだ残っているのですね。


  1. トバ噴火(Youngest Toba Tuff)の年代はアルゴン‐アルゴン法で約7万3700〜7万3900年前。噴出量は約3800立方キロメートル(相当)、火山爆発指数は最大の8で、第四紀最大の噴火とされる。灰は地球表面の約7.5パーセント(3800万平方キロメートル超)に厚さ1センチ以上積もった。 

  2. スタンレー・アンブローズ(1998年)による「トバ・カタストロフ仮説」。火山の冬によって人口が3000〜1万人まで減少したとする。気候モデルの推定では地球全体の寒冷化は2.3〜4.1℃、期間は3〜6年程度で、6〜10年の「火山の冬」は仮説側の主張である。 

  3. インド・ジュワラプラム(Jwalapuram)での灰をはさんだ石器の連続性、南アフリカ・ピナクル・ポイントでの人類の存続、マラウイ湖コアが示す軽微な影響、氷床コアの寒冷度の比較などが、強い版のボトルネック説に否定的な証拠として挙げられている。 

コメントする

CAPTCHA