乳製品とは乳由来の食品で、ミルク、チーズ、バター、それ以外にもプロティン製品のホエイなどがあります。広い野原でのんびりと育った牛さんから新鮮で健康なミルクが搾られ、様々な加工品が作られ、それが食卓に届いている。私達の多くがそれを信じています。
先日Compassion in World Farmingという活動団体の調査発表を取り上げたAFPP通信社の記事を目にしました。最高級チーズとして高いブランド力を誇るパルミジャーノレッジャーノの生産に使われている牛乳の生産が乳牛にとってあまりにも過酷な環境で行われていることを伝える内容でした。
彼らのFBの記事には「広告が伝えないパルミジャーノ」として次の様な対比がされていました。
「12か月の熟成」/「0日の放牧」
「ブランドの誇り」/「傷の痛み」
「勤勉な職人による手作り」/「牛乳マシーンのように扱われている牛」
「円形のチーズで一杯の棚」/「過剰搾乳と突き出た骨」
この記事での映像では牛達の痛々しい状況が収録されています。以下、サブタイトルの和訳です。
「パルメジャーノ・レッジャーノの生産に牛乳を提供している乳牛はその短い一生を閉鎖された屋内で過ごします。」
「ただ、牛乳を生産するために」
「この牛達にとって、牧草は幻でしかありません」
「彼らは屋内に閉鎖されています」
「皮膚に擦り傷や炎症が起きている牛もいました」
「動きを制限される不適切な飼育施設が原因です」
「過剰に搾乳され、消耗しきった牛たち」
「歩行困難な牛達もいました」
「その多くが骨が突出し、やせ細っていました」
「異常な量のミルクを搾乳されます」
「ミルクの生産マシーンのように」
「この牛たちは牧草地を歩くことはありません」
「コンクリートの床は危険です」
「牛は滑り、怪我で苦しみます」
「通り道には糞尿が蓄積しています」
「彼らは糞尿に足をうずめて立つしかないのです」
「横たわる場所がないため、この牛は糞尿におおわれた固いコンクリートの上に横たわっています」
「牛は反芻草食動物です。彼らは牧草地で育つようにできています。工業的農業が放牧を根絶やしにしています」
うすうすそうかもしれないと思っていましたが、自分の中で認めたくない気持ちがあったのも事実です。パルミジャーノ・レッジャーノ、通称パルメザンは学生の頃からかなり消費してきたチーズだからです。
しかし、ヨーロッパの伝統的チーズの製法は農家が育てている牛から始まるイメージがあまりにも強いので、欧州ならまだ健全な酪農が生きているよね、大丈夫だよね、という期待感がありました。
その希望の光が一気に小さくなってしまいました。かの地域でもCAFO(集中家畜飼養施設運営)が主流になっているのかと。
この記事がイタリアの全てのチーズ用牛乳生産の現状を映しているわけではありませんが、業界側から記事を否定する声明はでてきませんでした。
そもそも、伝統的酪農とはどのようなものだったのでしょうか?欧州は新石器の時代から山や丘など標高差を使った酪農が盛んだったはずです。
夏は若い女性達が丘の上の素朴な小屋に住みながら放牧、搾乳をし、家族で冬を越すためのバターやチーズを作っていました。
冬は低地の牧草地で干し草やカブなどの根野菜をあたえ、余裕のある時は屠畜をして塩処理をし、市場で販売する家畜商人に卸していました。
数千年続いてきたこの仕組みがなぜ壊れたのでしょうか。
それは畜産と農耕を分離したからです。野菜と果物はこっち。お肉と牛乳はこっち。その結果が、農薬・化学肥料・除草剤を使った遺伝子組換種の単一作物栽培とCAFOです。
CAFOを動物福祉の観点から廃止しようと唱える人達がいますが、ただ廃止しろではは経済的合理性がなく難しいでしょう。
しかし、農耕と放牧を数年ごとに回転させながら持続的に土壌の中の微生物の多様性と炭素量を増やすことで、本物の有機を実現しながら経済的に優れた農耕・畜産一体型農業が可能です。そのことを、まず牧草牛の認知度と消費者の数を増やしていくことで、安定供給できる生産者を私達が作っていきましょう。
浩二さん
ありがとうございます。
前進させましょう。
やりましょう。
私も躊躇してきたプロジェクトをスタートさせます。