「証書」⇔ “deed” ―― 約束ではなく、なされたこと

英語の契約書に目を通していると、ときどき、いかめしい一語に出会います。
deed。
表題に Deed of ―― と書かれていたり、末尾に executed as a deed(証書として作成された)とあったりします。
不動産の権利証も、英語では title deed です。
どれも、署名され、印が押された、重い紙のことを指しています。

ふしぎなのは、この deed が、子どもでも知っているあの deed と、まったく同じ一語だということです。
good deed ―― 善い行い。
do a good deed といえば、席をゆずる、落とし物を届ける、そんな日々の小さな行いのことです。
その deed が、なぜ、これほど重々しい法律文書の名前になっているのでしょう。
その答えを、deed という言葉そのものに探しにいきます。

deed という言葉

deed をさかのぼると、古英語の dǣd にたどり着きます。
意味は、なされたこと、行い。
さらに奥をたどると、印欧祖語の *dhe-(置く、据える、なす)という根にゆきつきます。
そう、これは do(する)と同じ根から生まれた言葉です。
deed とは、do がすでに「なされた」姿、ひとつの行いそのものでした。

この *dhe- という根は、言語をまたいで実をつけています。
運命の doom、王国や領分をあらわす -dom(kingdom の dom)も、この一族です。
そして海をわたったラテン語では、facere(なす)から factum ―― 「なされたこと」、すなわち fact(事実)が生まれました。
deed と fact は、ゲルマン語とラテン語という別々の川を下ってきた、同じ根を持つ兄弟だったのです。
どちらも、なされたこと、を芯に持っています。
ギリシャ語まで行けば、置くことを意味する tithenai から thesis(命題)や theme(主題)も、同じ根の枝でした。

約束と、なされたこと

ここで、最初のふしぎに戻ります。
なぜ、重い法律文書が「なされたこと(deed)」と呼ばれるのでしょう。

契約(contract)は、約束の交換です。
私はこれをします、あなたはあれをします ―― たがいの、これからの行いを、言葉で約束しあう。
約束は、まだなされていない、未来のことです。

けれど deed は、そうではありません。
deed は、署名し、印を押した、その瞬間に「もう、なされてしまった」ものとして扱われます。
だから英米の法では、deed は約束のように見返り(consideration)を必要とせず、その形式だけで人を縛ります。
言葉で「します」と誓うのが契約なら、deed は、行いそのものを紙の上に据えて、済んだこと、にしてしまう。
不動産が deed で人の手から手へ渡るのは、それが「これから渡します」という約束ではなく、「渡した」という、なされた行いだからでした。

印を押す、という所作にも、同じ意味が宿っています。
まだ揺れているもの、これからのものを、もう動かせない「済んだこと」として、その場に据えつける。
*dhe- が置く・据えるという意味だったことを、印はそのまま身ぶりでなぞっています。

言うことと、することのあいだ

そう思って見ると、deed という言葉は、法律の外でも同じことを言っています。
私たちは日々、たくさんのことを言います。
やります、あとで、きっと。
その多くは、契約と同じ、これからの約束です。
けれど、実際になされた一つの行いだけが、deed になります。
言葉は未来にとどまり、deed は、もう世界に置かれています。

good deed が、立派な演説ではなく、小さくても「した」一つの行いを指すのは、そのためでしょう。
言ったことではなく、したことだけが、その人の deed として残る。
証書が重いのは、紙が高価だからではなく、それが「なされてしまったこと」の重さだからです。

do と deed が同じ根から生まれ、fact がその海のむこうの兄弟で、契約が未来の約束であるのに対し deed はもう済んだ行いであり、押された印が「据える」という所作でそれを封じます。
どれも、一つのことを言っています ―― 約束は、これからの言葉。deed は、もう、なされたこと。

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