先日、家族で、ある食事に招かれました。
その席では、誰も、スマートフォンを、テーブルに出しませんでした。
みんなが、目の前の人に、心を向けている。
それだけの、ゆたかな時間でした。
家に帰ってから、気づいたのです。
その夜の会話を、私は、驚くほど、たくさん覚えていました。
誰が、どんな話をして、どんな顔で笑ったか。
それだけ深く、その場に、心を向けていたからなのですね。
注意とは、「心を、張ること」
英語で、注意を attention といいます。
ラテン語の attendere ―― ad(〜のほうへ)と tendere(張る・引き伸ばす)―― に由来する言葉です。
つまり注意とは、もともと、心を、何かのほうへ、ぴんと張ること。
弓の弦を、的に向けて引きしぼるように、私たちは、目の前の一つに、心を、張っています。
そして、弦が一本しかないように、注意にも、限りがあります。
一つに深く張れば、ほかは、ゆるむ。
この「限りある一本の弦」を、いま、そっと引いているものが、あります。
テーブルの上の、スマートフォンです。
まず、「私」に起きること
こんな研究があります。
自分のスマートフォンが、ただ、机の上に、置いてあるだけ。
たとえ、電源を切っていても、伏せていても、一度も触らなくても。
それだけで、私たちの使える「頭の容量」が、少し減る ―― そう報告した実験です1。
スマホを別の部屋に置いた人ほど、成績がよく、机の上にあった人ほど、下がった。
しかも、その差は、スマホに頼っている人ほど、大きかったといいます。
ただし、この結果には、注意も要ります。
この「頭の容量が減る」という効果は、その後の追試で、再現がまちまちで、
今も、議論の続いているところです1。
ですから、「スマホがあると、必ず頭が悪くなる」とまでは、言えません。
けれど ―― もう一つの側で見つかったことは、もっと、確かでした。
そして、「私とあなたのあいだ」に起きること
二人が、向かい合って、話をする。
その机の上に、スマートフォンが、一台、置いてある。
ただ、置いてあるだけ。誰も、触らない。
それだけで、その会話は、浅くなるのです2。
百組の人たちを観察した、実地の研究があります。
スマホがそこにあった会話は、なかった会話より、質が、はっきりと低く評価されました。
とくに、親しい二人ほど、深い話ほど、その差は、大きかった。
そして、感じられる共感まで、下がっていたのです。
大切なのは、これが、自分の電話だけの話ではない、ということです。
向かいに座る、あなたの電話が、机にあるだけでも、同じことが起きる。
一台のスマホが、そこに「ある」だけで、私と、あなたのあいだの空気を、少し、遠ざけてしまう。
なぜでしょう。
たぶん、私たちの心の弦が、目の前の相手だけでなく、
「あの四角い画面に、何か来ているかもしれない」という、見えない可能性のほうへも、
ほんの少し、張られてしまうから。
その、わずかにそれた注意を、相手は、言葉にならないところで、感じ取ってしまうのですね。
注意は、いちばんの贈り物
誰かに注意を向けるとは、
自分の、限りある心の弦を、その人のほうへ、まっすぐ張ること。
それは、私たちが、相手に渡せる、いちばんの贈り物なのかもしれません。
スマホは、鳴らなくても、光らなくても、いい。
ただ、そこに「ある」だけで、その贈り物から、細い糸を、一本、抜いていく。
私からは、頭の容量を。
私とあなたのあいだからは、つながりの深さを。
だから、あの夜の食卓は、豊かだったのですね。
誰も、何にも、気を取られていなかった。
みんなの心の弦が、まっすぐ、その場に、張られていた。
もしかすると、これからの時代の豊かさとは ――
お金でも、モノでもなく、
「今は、この画面を気にしなくていい」と、心から思える時間を、
自分と、大切な人のために、持てること、なのかもしれません。
今日、一度でいい。
スマホを、少しだけ、遠くに置いてみる。
そして、目の前の人に、心の弦を、まるごと張ってみる。
そのひとときの中で、覚えていられることの多さに、きっと、驚くはずです。
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自分のスマホの「単なる存在」が、使える認知資源を減らすと報告した研究。Ward AF, Duke K, Gneezy A, Bos MW.「Brain Drain」Journal of the Association for Consumer Research 2(2):140–154, 2017(DOI 10.1086/691462)。ただし後続の追試では効果の再現が一貫せず、メタ解析でも結論は定まっていない(例:PMC10525686)。断定は避けるのが妥当。 ↩
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会話中の携帯端末の「単なる存在」が、対話の質と共感を下げると報告した実地研究。Misra S, Cheng L, Genevie J, Yuan M.「The iPhone Effect」Environment and Behavior 48(2):275–298, 2016(DOI 10.1177/0013916514539755)。関連:Przybylski AK, Weinstein N. Journal of Social and Personal Relationships 30(3):237–246, 2013(DOI 10.1177/0265407512453827)。 ↩