「朝食」⇔ “breakfast” ―― 肝臓は、光ではなく最初の一口で時刻を合わせる

土曜の夜、遅くまで起きていて、日付が変わってから何かを食べます。
日曜は昼近くに起き、朝食を抜き、また夜に寄せて食べる。

月曜の朝、体が重い。
どこへも行っていないのに、時差ぼけの朝によく似ています。

飛行機には乗っていません。
経度は一度も動いていない。
それでも体のどこかは、別の土地の時刻を指しています。

一日が始まるのは、目が覚めたときではない

日本語の「朝食」は、朝に食べるもの、という意味しか持っていません。
時刻を指しているだけです。

英語の breakfast は、違うことを言っています。
break(破る)と fast(断食)。
断食を、破る。

昨夜の最後の一口から今朝の最初の一口まで、私たちは眠りながら断食をしています。
その断食が破られる瞬間に、名前がついている。

もっと遡ると、この語の骨組みは思わぬところまで伸びています。
dinner も、古フランス語 disner をへてラテン語の disjejunare にさかのぼり、もとの意味は同じ「断食を破る」でした。
いまは一日の最後の食事を指す言葉が、はじめは一日の最初の食事のことだったのです。

そして小腸の一部を、私たちは空腸と呼びます。
英語では jejunum
ラテン語の jejunus――「空の」「断食した」。
解剖されたときにいつも空だったから、その名がつきました。

朝食も、夕食も、腸の一部も、同じ一語から出ています。
断食を破る、という一語です。

一日の始まりを、これらの言葉は日の出に置いていません。
食べはじめる瞬間に置いています。

その言い方が、体の作りとどこまで合っているのか。
確かめにいきます。

二日で、昼と夜が入れ替わったもの

脳の奥、左右の視神経が交わるすぐ上に、米粒ほどの神経の塊があります。
視交叉上核といって、体じゅうの時計の基準になっている場所です。
ここは、目から入る光だけを聞いています。

肝臓にも、時計があります。
腸にも、脂肪細胞にも、膵臓にもあります。

では、脳の時計が動かないまま、肝臓の時計だけを動かすことはできるのか。

夜行性のマウスは、暗いあいだに食べます。
そのマウスに、明るいあいだ――本来なら眠っている時間帯――にだけ餌を置きました。
光の条件は、いっさい変えていません。

肝臓の時計は、二、三日で昼と夜がほぼ逆になるところまで動きました1
腎臓も、膵臓も、心臓も、遅れて追いかけます。

そして脳の視交叉上核は、一分も動きませんでした2

光は変わらず朝を告げていて、脳はそれを聞いている。
肝臓は食事を聞いていて、そちらは12時間ずれている。
一匹の体の中で、二つの時刻が同時に進んでいたことになります。

人でも、同じことが起きる

ヒトで確かめた実験があります。

生活のすべてを一定にしたまま、食事の時刻だけを5時間遅らせます
光も、睡眠も、活動も、動かしません。

血糖のリズムは、およそ5時間半、そのまま後ろへずれました。
一方で、脳の時計の針そのものであるメラトニンと体温のリズムは、動きませんでした3

食事は、脳の時計を素通りして、内臓の時計だけを掴んで動かしていたのです。

こうして体内の時計どうしが食い違った状態を、時間生物学では internal desynchrony(内的脱同調) と呼びます。
外の世界とずれているのではありません。
自分の中の時計どうしが、ずれている。

夜勤明けの人の血液を調べると、これがはっきり出ます。
血中の代謝物のリズムは半日近く動いているのに、脳の時計はほとんど動いていない4
頭は昼を、代謝は夜を指したままになります。

master と peripheral という呼び名

ここで、言葉のほうに戻ります。

視交叉上核は、master clock(主時計)と呼ばれてきました。
肝臓や腸や脂肪の時計は、peripheral clock(末梢時計)です。

master はラテン語の magister、さらに magis「より多く」から来ています。
より多くを持つ者、という意味です。
peripheral はギリシャ語の peripheria――peri(まわり)と pherein(運ばれる)。
まわりを運ばれていくもの、という意味です。

日本語も同じ構図です。
中枢と、末梢。
中心と、枝の先。

名づけた時点で、上下が決まっています。
中心が号令をかけ、まわりがそれを受け取って回る。
だから「肝臓の時計が脳と別の時刻を指す」という話は、言葉の側から見ると筋が通りません。
末梢が独自の時刻を持つのなら、それはもう末梢ではないからです。

視交叉上核が全身をそろえている、という部分は、いまも正しい。
それが失われれば、行動のリズムそのものが崩れます。

変わったのは、そろえているのは視交叉上核だけだ、という部分です。

上下の関係ではなく、聞いている合図が違う、というだけのことでした。
脳の時計は光を聞き、肝臓の時計は食事を聞く。
二つの入力が一致しているあいだ、体はひとつの時刻を指します。
入力が食い違えば、時刻も食い違う。

号令が届かなくなったのではありません。
最初から、号令は二種類あったのです。

半分だけ、独立している

近年になって、この独立性がどこまでのものか、輪郭が見えてきました。

体じゅうの時計をすべて壊し、肝臓の時計だけを戻したマウスがいます。
基準になる脳の時計もなく、周りの臓器の時計もない。
それでも肝臓は、自分ひとりで時を刻み続けました5

ただし、自力で回せたのは、肝臓が本来もつリズムの一部だけでした。
残りの大部分は、動きを止めたままです。
それらは、脳や他の臓器からの合図が届いて、はじめて回りはじめます。

肝臓は、独立した時計を持っているのではありませんでした。
自分の時刻を自分で決められる、けれども一人では全部を動かせない
そういう半端さのまま、そこにあります。

だから、脳と食い違ったときに戻ってこられる。
そして、食い違ったまま何年も走り続けることもできてしまう。

最初の一口が、合図になる

ここまで来ると、朝にできることは絞られます。

朝、目を開けて光を入れる。
脳の時計は、これで合います。

そのあとで、最初の一口を入れる。
肝臓と腸の時計は、これで合います。

順番と時刻が保たれているあいだ、体じゅうの時計は同じ一日を回ります。

逆に、夜中に食べるということは、肝臓だけを西へ飛ばすということです。
脳は日本にいて、肝臓はヨーロッパにいる。
その時差は、飛行機で作った時差と違って、帰りの便がありません。
毎晩それを繰り返しているかぎり、ずれは戻らないからです。

朝食を食べるかどうかより、最初の一口の時刻が毎日そろっているかのほうが、内臓の時計にとっては大きい。
何時に食べはじめて、何時に食べ終わるか。
その二点が、内臓にとっての夜明けと日没です。

break-fast の「破る」と、いつも空だから空腸と名づけられた腸と、二日で昼夜が入れ替わったマウスの肝臓と、そして今朝あなたが口にした最初のひと口とが、ひとつのことを指しています。

一日が始まるのは、目が覚めたときではありませんでした。
断食を破ったときです。


  1. Damiola F, Le Minh N, Preitner N, Kornmann B, Fleury-Olela F, Schibler U. Restricted feeding uncouples circadian oscillators in peripheral tissues from the central pacemaker in the suprachiasmatic nucleus. Genes & Development. 2000;14(23):2950-2961. PMID: 11114885 

  2. Stokkan KA, Yamazaki S, Tei H, Sakaki Y, Menaker M. Entrainment of the circadian clock in the liver by feeding. Science. 2001;291(5503):490-493. PMID: 11161204 

  3. Wehrens SMT, Christou S, Isherwood C, et al. Meal Timing Regulates the Human Circadian System. Current Biology. 2017;27(12):1768-1775.e3. PMID: 28578930 

  4. Skene DJ, Skornyakov E, Chowdhury NR, et al. Separation of circadian- and behavior-driven metabolite rhythms in humans provides a framework for understanding rotating shift work. PNAS. 2018;115(30):7825-7830. PMID: 29991600 

  5. Koronowski KB, Kinouchi K, Welz PS, et al. Defining the Independence of the Liver Circadian Clock. Cell. 2019;177(6):1448-1462.e14. PMID: 31150621 

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