ケトン体は、大人が糖質を減らしたときに現れるもの。
そう説明されることの多い物質です。
断食。糖質制限。長い時間の運動。
どれも、いつもの燃料が足りなくなったあとに、控えとして出てくる場面です。
けれど、何かを減らしたわけでも、我慢したわけでもないのに、ケトン体が主要な燃料のひとつになっている時期が、人の一生にあります。
生まれた直後の、数日間です。
そしてその数日のあとに続く食事 ―― 母乳もまた、エネルギーのおよそ半分を、脂質が担っています。
臍帯が切れた日に、糖の供給が止まる
お腹の中にいるあいだ、胎児はブドウ糖を、自分では作っていません。
胎盤と臍帯を通して、母親の血から、途切れることなく受け取っています。
食事の時間もなく、空腹の時間もない。
供給は、ずっと一定です。
出産で、その管が切れます。
血糖はそこから下がりはじめ、生後まもなくいちばん低いところまで落ちて、そのあと戻っていきます。
このとき、新生児の体は、二つのことを同時に始めます。
ひとつは、糖を自分で用意することです。
肝臓に蓄えてあったグリコーゲンを分解し、それが尽きたあとは、乳酸やアミノ酸やグリセロールから糖を作りなおします。
糖新生 (gluconeogenesis) と呼ばれる働きです。
もうひとつは、脂肪を動かすことです。
脂肪組織から脂肪酸が血の中へ出ていき、肝臓でケトン体に変えられます。
ケトン体産生 (ketogenesis) です。
肝グリコーゲンの分解、糖新生、脂肪分解、ケトン体産生。
この4つが束になって、燃料のまかない方を、糖に頼るかたちから、脂質を土台にしたかたちへ移していきます。
出生時の代謝適応を扱った総説は、この移行をそう記述しています1。
肝臓のグリコーゲンは、数時間で底をつきます。
だから、その後も働き続けるのは、二つめのほうです。
生後8時間もたっていない新生児で、ケトン体が体の中をどれだけの速さで回っているかを測った研究があります。
乳児12名に、重水素で標識したβヒドロキシ酪酸を投与し、それが体の中でどれだけ薄まるかから、ケトン体が作られては使われていく速さを割り出しました。
出てきた数字は、大人であれば数日間まるごと絶食して、ようやく届く水準でした。
著者らの見積もりでは、生まれて数日のあいだ、基礎的なエネルギー需要のおよそ4分の1を、ケトン体がまかなっています。
ただし、この方法で測れるのは、体全体でケトン体がどれだけ作られ、どれだけ使われたかという総量です。
どの臓器がどれだけ受け取ったかまでは、分かれません2。
大人が何日もかけてたどり着く代謝の状態に、新生児は、生まれた日のうちに入っています。
生理的な移行と、治療が必要な低血糖は、別のもの
いま書いたのは、健康な満期産の新生児が通る、生理的な移行です。
血糖が下がること自体は、異常ではありません。
下がったぶんを、ケトン体が埋めています。
問題になるのは、その埋め合わせができない場合です。
満期産児156名と早産児62名を、生後1週間にわたって追った研究があります。
比較のために、年長児52名も同じ測定を受けました。
早産児では、血糖が低い場面でも、ケトン体の濃度が上がってきませんでした。
満期産児では上がる。
この差が、早産児の代謝的な弱さの正体でした。
著者らは、新生児の血糖値は、ほかの燃料が使える状態にあるかどうかという文脈の中で読むべきだ、と結論しています3。
生まれたての脳は、ケトン体を取りに行く
作られたケトン体は、どこへ行くのでしょうか。
生後11日から12か月までの乳児12名で、脳に入る血液と、脳から出る血液の成分の差を測った研究があります。
脳の血流量を測り、動脈と静脈の濃度差と掛け合わせて、脳がどの燃料をどれだけ取り込んだかを算出しました。
ケトン体の取り込み量は、成人で報告されている値より大きいものでした。
ただしこの測定は、待機手術を控えて全身麻酔がかかり、術前の絶食を経た乳児で行われています。
ふだんの授乳のリズムの中にいる乳児を、そのまま代表する数字ではありません4。
運び手の側にも、それを裏づける仕組みがあります。
ケトン体は、脳の血管の壁 ―― 血液脳関門 (blood-brain barrier) を、自由には通り抜けられません。
専用の輸送体が必要です。
単カルボン酸輸送体1 (monocarboxylate transporter 1、MCT1) と呼ばれるたんぱく質が、その役目を負っています。
生後17日の授乳期のラットと、成体のラットで、この輸送体の量を電子顕微鏡で数え、密度を比べた研究があります。
脳の毛細血管をつくる内皮細胞の膜では、授乳期のほうが約25倍多く見つかりました。
これはラットのデータであり、ヒトの新生児や乳児で同じ倍率になることを示した研究ではありません5。
ただ、乳児の脳がケトン体を多く取り込むという観察と、向きは一致しています。
入口が広く開いている時期がある。
その時期に、何を飲んでいるか。
母乳は、エネルギーの半分近くを脂質で渡している
成熟した母乳では、脂質が総エネルギーのおよそ45〜50パーセントを占めます。
この割合は一定ではありません。
人によって違い、一回の授乳の前半と後半でも違い、授乳期のどのあたりにいるかでも動きます。
およそ半分という言い方は、その幅を含んだ表現です6。
重さで数えれば、三大栄養素のなかでいちばん多いのは乳糖です。
けれどエネルギーの単位に直すと、糖質と脂質は、ほぼ半分ずつを分け合っています。
たんぱく質の取り分は、そのどちらよりずっと小さい。
脂質は、同じ重さで糖質の倍以上のエネルギーを持ちます。
小さな胃で、短い間隔で飲むしかない赤ちゃんにとって、これは容積の問題でもあります。
飲んでいるものの違いは、赤ちゃんの血液にも出ます。
満期で生まれた、在胎週数のわりに小さい児65名と大きい児39名を追った前向き研究では、母乳だけで育っていた群で、ケトン体のピーク濃度がいちばん高くなりました。
人工乳を足す量が多いほど、ピークは低い。
ただしこれは観察研究であり、どちらの授乳方法をとるかを割りつけて比べたものではありません7。
これは組成の話です。
母乳と育児用ミルクのどちらを選ぶかは、家庭ごとの事情のもとで決まることで、この記事はその優劣を扱っていません。
中鎖脂肪酸は、母親の血からではなく、乳腺で作られている
母乳の脂肪酸には、炭素の数が8個から12個ほどの、中鎖脂肪酸 (medium-chain fatty acids) が含まれます。
カプリル酸、カプリン酸、ラウリン酸。
炭素14個のミリスチン酸も、同じ経路から出てきます。
これがどこから来たのかを調べた研究があります。
出産した女性31名 ―― 早産で産んだ人も、満期で産んだ人も含まれます ―― で、初乳の脂質と、血清の脂質を並べて分析しました。
カプリン酸とラウリン酸は、初乳のほうが血清より16〜17倍も濃い。
母親の血から運ばれてきたのであれば、こうはなりません。
乳腺 (mammary gland) の細胞が、その場で合成していたということです8。
しかもこの合成は、妊娠期間の長さに関係なく、出産を境に始まっていました。
早く生まれても、満期でも、引き金は分娩そのものです。
母乳の脂肪酸組成は、母親の食事で変わる
授乳中の女性5名に、二つの食事を順番にとってもらった研究があります。
ひとつは、脂質5パーセント・糖質80パーセントの食事。
もうひとつは、脂質40パーセント・糖質45パーセントの食事。
重水素の標識をたどることで、乳腺で新しく作られた脂肪酸を見分けています。
低脂質・高糖質の食事のとき、母乳の中鎖脂肪酸の割合は、5名のうち4名で12.8パーセントから16.3パーセントへ増えました。
残る1名では、29.9パーセントまで上がっています9。
向きは、少し意外に見えるかもしれません。
糖質を多くとったほうが、乳腺での脂肪酸合成は増えます。
食事から入ってくる脂質が少ないぶんを、乳腺が自分で作って埋めているからです。
脂質を多くとったときには、別のところが動きます。
授乳中の女性7名に、高脂質食(脂質55パーセント・糖質30パーセント)と高糖質食(糖質60パーセント・脂質25パーセント)を、8日間ずつ、順番を入れ替えてとってもらった無作為化クロスオーバー試験があります。
母乳の脂質濃度は、高脂質食の期間のほうが高くなりました。
4.3 g/dL に対して、4.8 g/dL です。
1日に渡される脂質の量も、34 g から 39 g へ増えました。
ただしこの試験は、エネルギー摂取を中等度に抑えた条件のもとで行われています10。
ふだんどおり食べているときに、同じ差が出るとは限りません。
どちらの研究も、参加者は一桁の人数です。
5名と、7名。
向きは読めますが、数字の大きさをそのまま一般化できる規模ではありません。
初乳から成乳へ
母乳の中身は、最初の数週間で変わっていきます。
生まれて数日のあいだに出る初乳 (colostrum) は、量が少なく、たんぱく質と分泌型IgAが濃い。
乳糖の濃度は、まだ低い。
そこから移行乳を経て、成乳 (mature milk) になります。
移行乳の時期は産後5日から2週ごろ、成乳として組成が定まるのは産後4〜6週です。
その過程で、量が増え、たんぱく質の濃度は下がり、乳糖と脂質、そしてエネルギーが上がっていきます11。
最初に渡されるのは、免疫の情報です。
燃料が本格的に流れはじめるのは、そのあとです。
離乳という言葉が、覚えていること
英語で wean という言葉は、古英語の wenian に由来します。
その意味は、「慣れさせる」「馴らす」でした。
さらにさかのぼると、ゲルマン祖語の *wanjan、そして印欧祖語の *wen-「求める、慕う」の使役形にたどりつきます。
ドイツ語で「慣れさせる」を意味する gewöhnen も、同じ語根から来ています12。
「乳から引き離す」という側の意味は、古英語では gewenian、awenian という接頭辞つきの別の動詞が担っていました。
wenian そのものは、新しい食事に慣れさせる、という側の言葉です。
日本語の「離乳」は、乳から離す、と読めます。
英語の語源が覚えていたのは、離すことではなく、慣れさせることのほうでした。
この差は、体で起きていることと、そのまま重なります。
燃料は、切り替わるのではなく、重なっていく
胎児は、糖を受け取り続けて育ちます。
生まれた瞬間にその供給が止まり、体は脂肪を動かしてケトン体を作ります。
続く母乳は、エネルギーの半分近くを脂質で渡します。
そして離乳とともに、糖質を含む食事が、そこに重なっていきます。
離乳とは、脂質を主な燃料とする食事から、糖質を含む食事へ、時間をかけて慣れさせていく作業でもあります。
ヒトの新生児は、体脂肪の割合が、哺乳類のなかで際立って高いことが知られています。
多くの哺乳類では出生体重の2〜3パーセント、チンパンジーでもおよそ3パーセント。
ヒトはその数倍を積んで生まれてきます。
大きな脳を持って生まれるために、燃料の備蓄を先に積んでおく。
そう読む研究者がいます。
これは、種を横に並べた比較データからの解釈であって、実験で確かめられた因果ではありません13。
つまり、脂肪を燃料として使う準備は、生まれる前から始まっていました。
生まれた日のケトーシスは、そのとき初めて起きたことではなく、積んであったものが使われはじめた日だったことになります。
大人の体が、もう一度たどるもの
大人が糖質を減らしたとき、体はケトン体を作りはじめます。
このとき動いているのは、新しく獲得した機能ではありません。
脂肪を動かし、肝臓でケトン体に変え、脳へ運ぶ。
この一連の経路は、生まれた日にすでに一度、全力で動いています。
人生で最初の食事は、エネルギーの半分近くが脂質でした。
それは、誰もが一度は与えられた構成です。
その一枚の設計図を手元に置いたまま、いまの食卓を、私たちも一緒に見ていけたらと思います。
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Bougnères PF, Lemmel C, Ferré P, Bier DM.「Ketone body transport in the human neonate and infant」Journal of Clinical Investigation 77(1):42–48, 1986(DOI 10.1172/JCI112299、PMID 3944260)。 ↩
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Online Etymology Dictionary、wean の項。 ↩
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