大瀧詠一サブスク解禁によせて


大滝詠一、楽曲サブスク解禁のニュースを見てとても懐かしい想いでが込み上げてきたのでそのことを書いてみようと思います。

当時僕は15歳でした。出発前に僕にシンセサイザーの触り方を教えてくれていたお兄さんのような存在の従弟から一枚のCDをもらいました。

「アメリカに行ってもがんばれよ。たまには日本の音楽も聴いた方がいいぞ。」

そのCDが大瀧詠一の「A Long Vacation」です。

最初の留学先は シアトルから車で30分のケント市。

最初の・・というのは、正式に高校で3年間学び終える前に、3回学校を代わって4回目でやっと卒業できる高校に落ち着いたのです。

中学卒業の翌月4月にシアトルにわたり、2ヵ月の高校生活を送りました。学校はとても恵まれた環境でしたが、ホストファミリーとの相性はよくありませんでした。

息苦しさの中で日本から持ってきた数枚のCDの音楽が心の癒しでした。

A Long Vacation は何回も、何回も聴きました。

当時は電話代が高いからと日本にも電話することもできず、相談できる相手もおらず、どうにもならなかった自分は、夜逃げすることにしました。

実際は昼逃げなのですが、生活の荷物を置いたまま、行き先は一度旅行でいったことがあるロサンゼルスでした。

とにかく、その状況から脱出したかった、ただその一心でした。

当時お世話をしてくれた方々に本当にひどい迷惑をかけたなと思います。

その方々とは自分の中で長いわだかまりがあったため、謝罪できませんでした。

今は本当に申し訳ない気持ちで一杯ですが、心の中ではしっかり和解をしています。

とりあえず、最初に米国で高校卒業する、という夢はとん挫したわけですが、簡単にあきらめるわけにはいきませんでした。

中学を卒業する際、進路に関して、当時会社を経営していた父からは

「学校で勉強しても何の役にもたたないから僕のカバン持ちをしなさい。」

と言われました。

その時は

「かばん持ちはいつでもできるけど、その前に他の世界も見ておきたいな」

と冷静に答えていました。

スーツケース一つで流れ着いた先は、サンタモニカの英語教室でした。

場所はサンタモニカブルバードがサンタモニカピアにたどり着くT字路。

目の前にはサンタモニカの海が広がり、学校が終わったらクラスの仲間とビーチに遊びにいき、将来の夢を語り合いました。

英語教室に来ていた留学生たちのほとんどが、サンタモニカコミュニティカレッジに入学して、そこからUCLAに編入したいね、と目をキラキラ輝かせていました。

僕にはそんなみんながとてもまぶしく見えました。

彼らは高校卒業して留学してきているので、英語さえ習得したら、米国大学へ進学ができるのですが、当時の僕は高校入学さえしてなかったのですね。

当たり前ですが、大学に入学するには高校のディプロマが必用だったのです。

夢はあっても、進む道が全く見えない、情報を探す手段もない。

未来が見えない中での不安がありました。

今はサンタモニカのこのT字路辺りは大きく開発され一等地になっていますが、当時はさびれた一階建ての建物が連なり、その一つに英語学校があって、目の前によくパンケーキを食べに行った8階建てのホテルがある程度でした。

でもそこには、太陽と、そよ風と、波の音と、若者たちがたむろするサンタモニカのビーチがありました。

サンタモニカで学んだのは2ヵ月でしたが、数年にも感じられる青春の大切なひと時でした。

今朝、 A Long Vacationに収録されている「君は天然色」のPVを見ながら、ハッと気づきました。

広い全米の中でどうしてサンタモニカの英語教室にたどり着いたのか。

当時の僕はこのジャケットの海を本気で見たかったんだね・・・

想い出はモノクローム 色を付けてくれ

もう一度そばに来て はなやいでるうるわしの Color Girl

大瀧詠一サブスク解禁によせて」への1件のフィードバック

  1. 時に昔を懐かしく思う、今も良いですが、その時あっての自分がいるのですねー❣️
    物語はその後どうなって行くのか、興味深々です

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