ココナッツオイルと5αリダクターゼ


「ココナッツオイルが性ホルモンを攪乱する。だから成長期の子供には与えない方がよい」という主張が複数の識者によって発信されています。

性ホルモン攪乱説に対する考察をおこないます。この説は学問を利用することにおいて共通してみられる問題が根源になっており、そちらの問題の方がもっと重要だと感じています。

ある問題に対して、分子レベルで観たり、栄養レベルで観たり、食品レベルで 観たり 、生活習慣レベルで観たり、人口レベルで観たり、進化(歴史)レベル観たりする癖をつけて、最終的には自分自身で総合的判断していくことを心がけないと、せっかくの人生が大切なものをつかめずに終わってしまう、という問題です。

今回は、これらの視点で、ココナッツオイルの性ホルモン攪乱物質説 を例に考えたことを書いてみます。

分子レベルの話

根拠となっているのが、ココナッツオイルに含まれている ラウリン酸の、テストステロンをジヒドロテストステロンに変換する5αリダクターゼ(5αR)阻害作用です。

これを分子レベルで見ていきましょう。生化学的見方になります。

なるほど、ラウリン酸が 5αR を阻害するのだから、ラウリン酸を含むココナッツオイルは性ホルモンを攪乱する、との主張はとても明快でわかりやすいですね。

ジヒドロテストステロンは成長期以降は逆に少なくなることで利点が多いのですが、成長期の子供には生殖器の発達などに影響が起こるリスクがある、と主張されています。

多くの情報をじっくりと吟味することが困難になっている現代、シンプルな話はとても強く、影響力もあります。

1.A→<負作用>→B
2.AはXに含まれる
3.Xは良くない

この3点だけで話が片付いてしまうんですね。そして、これ以上長い話をすると、もう誰も聴いてる人が残っていない(笑)。

そして、性に関わる話はどんなテーマであれ、人間は感情的に反応します。どんな小さなリスクでも許容したくない、普通はそう考えますよね。

ですので、性に関わる主張に関しては大きな責任が伴うと考えています。

分子レベルの主張は試験管で簡単に費用をかけずに実験することができます。測定技術さえ存在すれば、作用があるかどうかの仮説を検証することができますね。

そして、これが論文にまとめられると、「エビデンス」として使われて行きます。しかし、この知見を食材の良し悪しの判断に直接使っていくのは、大きな問題です。

これらのエビデンスは「生体実験」や「用量を変化させた実験」を行うかどうか、同様の作用を持つ分子で薬品が開発できないか、などの新たな研究の設計を吟味する際には大いに役に立ちますが、 何を食べる、食べないの結論に使えるものもあれば、そうでないものもあります。

なぜなら
「試験管のなかでラウリン酸が5αRを阻害した」
から
「ココナッツオイルを食べると性ホルモンの攪乱が起きる」
まで飛躍するためには、数えきれないほどの仮定が存在しているからです。

  • ココナッツオイルの摂取がどれだけ血中ラウリン酸を循環させるのか
  • 阻害が起こすラウリン酸の濃度を体内で実現できるのか?
  • 生体内で本当に阻害作用が起こるのか?どの用量でおこるのか?
  • その阻害作用は複雑系の体内で生理現象に影響を及ぼすのか?

分子レベルの研究者が意見表明をする際には、最低でもこれらのことに関するエビデンスがあるのかどうか、あるとすればどう解釈しているのか、なども一緒に発信していただけると嬉しいですね。

ちなみに、ココナッツオイル摂取由来のラウリン酸の活性作用に関するこれらの仮定に関しては、何もわかっていません。

分子研究はとても重要で、そのおかげで多くの栄養学の矛盾が解明できています。

しかし、「物質A→物質B」の作用で、複雑系でフィードバックループが働いている体内における現象を推し量るのは、推量程度にとどめておくべきで、食材の奨励までの飛躍は正当化できないと考えます。

ノコギリヤシについて

αリダクターゼ阻害効果を持つハーブとしてラウリン酸とよく比較されるのはノコギリヤシです。

これも、主張がとても明快でシンプルです。ノコギリヤシと同等の効果があるんだから、性ホルモンに影響があるよ、という話になるのですね。

ノコギリヤシは5αリダクターゼ阻害 効果を理由にジヒドロテストステロンの亢進で起こる様々な前立腺関連障害に効くとされています。

しかし、225名が参加した1年間の二重盲検試験では、プラセボと比較して、テストステロンレベル、前立腺肥大などの症状 * においてノコギリヤシは影響を与えませんでした(1)。(*米国の前立腺症状指標において)

用量の議論はあるにせよ、分子レベルでは作用関係がみとめられるものの、生体実験においては全く通用しないという良い例です。

その他の分子

5αRを阻害することが知られている分子はノコギリヤシやラウリン酸だけではありません。代表的な食品と一緒にご紹介します。

イソフラボン:大豆 (6)
クルクミン:ターメリック (7)
ケルセチン:玉ねぎ (8)
エピガロカテキン: 緑茶 (5)
セレン(ミネラル):魚介 (9)

ラウリン酸の5αリダクターゼ阻害を主張してる専門家はこれらの分子の5αR 阻害作用のことは知っているはずですがラウリン酸以外には触れるのを見るのは稀です。

5αRという酵素名を「ココナッツの性ホルモン攪乱説」と一緒に初めて聞く人は、この分子リストを見て驚くのではないでしょうか。

性ホルモン攪乱というのはとても過敏なテーマですので、もしそのような作用がある食品であれば、僅かでも口にしたくないはずです。 しかし、誰もが日常的に摂取している枝豆やカレーや緑茶やお魚を食べるのをやめるのでしょうか。

用量の違いの問題は残りますが、分子レベルのみで結論を出す問題がここにはよく表れています。

どんな自然食品であっても、分子レベルで見てみれば何かしらの「毒性」は 必ず あり、その分子だけを見てみれば、その食品を食べない方がよい、という主張は簡単に作れます。

特に植物のような動物と細胞構造から違う生命に関しては、分子レベルの毒物は数多く存在します。大切なのは、食べ物全体として、その植物を全体で見て、それが生体でどう代謝され、どう作用するのか、ですよね。

栄養レベルの話

脂肪酸と5αRの関係の研究を観ながら「脂質」という栄養を観ていきましょう。

まず、飽和脂肪酸ではラウリン酸、ミリスチン酸、パルミチン酸に5αRの阻害効果があります (2)。

不飽和脂肪酸では、γリノレン酸、DHA、アラキドン酸、αリノレン酸、リノール酸、パルミトレイン酸、オレイン酸が5αRを阻害します(3)。これは阻害効果が強い順です。

飽和脂肪酸も不飽和脂肪酸も、つまり「脂肪酸」は5αRへの阻害効果があるのですね。研究では作用が確認できない脂肪酸も複数あります。しかし、私達が日常的に口にする食品にはこれらの阻害活性のある脂肪酸が常に含まれています。

ラウリン酸のみを 性ホルモンを攪乱説で問題にするのであれば、ラウリン酸の5αR阻害効果が格段に高いことを証明するエビデンスがあるのでしょうか。

私はこの説を見るたびにそのようなエビデンスを定期的に探し続けているのですが、いまだに見つけることができません。

いくつかの研究を見る限りでは、脂肪酸による影響は同じようなマグニチュードで、しかもラウリン酸よりオレイン酸の方がより低濃度で阻害効果を持っているようです(4)。

しかし、誰もオリーブ油のことを問題にしようとはしません。

ネズミに対して11のオイルを5αR阻害物として比較試験した研究においては、全ての脂肪酸はジヒドロテストステロンを低下させ、しかもオリーブオイルの方がココナッツオイルより低下させています(12)。

食品レベルの話

ラウリン酸はココナッツオイルに含まれているので、5αR阻害効果において、ココナッツオイルを食べないように、とされています。

しかし、栄養レベルの話でも観たように、他の脂肪酸にも5αR阻害効果はあるんですね。

ミリスチン酸→ 肉、母乳
パルミチン酸→肉、母乳
γリノレン酸→母乳
DHA→魚
アラキドン酸→卵
αリノレン酸 →亜麻仁油
リノール酸→サラダ油
パルミトレイン酸→牛肉
オレイン酸 →オリーブ油

でも、これらの食品を食べるな、と言う人はいないですよね。それこそ何も食べれなくなってしまいますね。

5αR阻害効果のあるパルミチン酸やミリスチン酸は母乳にも含まれています。もっとも成長が速い時期ですね。

生活習慣レベルの話

ココナッツオイルの持つ中鎖脂肪酸やその代謝物であるケトン体の利点については、すでに広く知られていますので、ここではあえて書きません。

食事や運動を含む現代の 私達の生活習慣においては、燃料としての脂肪酸やケトン体だけでなく、シグナル伝達物質としてのケトン体が大きく不足しています。

生活習慣の問題は大人だけでなく、性ホルモン攪乱説がよく対象としている成長中の子供にも大きな影響を及ぼしています。

ココナッツオイルの提供するラウリン酸、カプリン酸、カプリル酸は他の脂肪食源には含まれておらず、とても貴重なケトン体前駆体としての役割を果たしています。

数多くの高品質なRCTで証明されている燃料ととして、またシグナル伝達物としての確固たる利点と、根拠が限りなく薄い 性ホルモン攪乱説 、これを天秤にかけて食品のもつ大きな恩恵を受け取る可能性を摘みとってしまうのはとても残念なことです(11)。

人口レベルの話

性に関する議論はそれがどのようなテーマであれとても感情的になりやすいです。

性は生命の本質の一つで、これに何等かの悪影響があるのであれば、全力でその可能性を除きたいと思うのが人間で、子供の性に関しては親は全力で安全を守りたいと思うのが当然でしょう。

世界にはココナッツオイルが脂質摂取の大部分を占めている地域があり、東南アジアやポリネシア諸島、西インド諸島などに点在します。

それらの人口(疫学)研究でココナッツが性ホルモンに影響を及ぼすことを示す品質の高い研究は見たことがありません。

性の問題は人類の大きなテーマですので、何か害があると想定されればそれを解決していこうという大きな動機が人類には本来あるはずです。それなのに、研究がない、と言うのは不思議です。

例えば同様に感情的な問題である発がん性物質などは、とても保守的な考えでリスク物質がリストされていきます。

しかし、どれだけ民族研究を探しても、地域住民に性的発達の問題が存在した、または、ジヒドロテストステロンレベルが低かったなどと指摘する研究はみつかりません。

日本人は5αR阻害因子が数倍、しかし 5αR は活性?

ところで、 大豆のイソフラボンに関しては少ないサンプル数ですが疫学研究があります (6)。

大豆のイソフラボンの 5αR 阻害効果は良くしられています。そこで、大豆を世界でもよく食べる日本人は5αRの阻害活性やジヒドロテストステロンが高いのか?という仮説にアプローチした研究です。

それぞれの伝統食を食べている21~31歳の日本人60名、ニュージーランド人60名の血液検査を行ったところ、日本人には大豆のイソフラボンである5αRを阻害するゲニステインとエクオールが数倍高い濃度で検出されました。

しかし、ジヒドロテストステロンは低いどころか高い値が検出されています。つまり、5αRは阻害されているどころか、逆に活性していました。

これは阻害物質が分子レベルでは高かったにもかかわらず、生理的には阻害は起こってないことを示しています。厳密にコントロールされた研究ではないので、相関関係しか示すことができませんが、例え血液中の5α阻害物質が高くても、ジヒドロテストステロンが必ずしも低くなることはない、ということですね。

大切なのは、このような矛盾から、何かを決めつけるのではなく、なぜそうなのかを考え続けることなんですよね。

進化レベルの話

考古学的に、ココナッツは1億年前から存在する植物です(10)。

特に沿岸地域を移動/居住してきた人類は、我々の祖先がアフリカを出発した時にはすでに脂肪を主要栄養素としていました。

生存するために、そこに在るもの、栄養価の高いもの、を食べ物としてきたのであれば、栄養価の高いココナッツの胚乳を食べてきたことが推測されます。

もしもココナッツの長期摂取が成長期の生殖器の発達などに影響があるようであれば、そのような遺伝子は淘汰圧力によって既に駆逐されてしまっている可能性は高いですね。

情報の選別の仕方

それぞれの分野の研究者や専門家が、性の問題に関する何等かの相関や作用を見つけた時、世の中に警笛を鳴らしたい、という善意の気持ちはとてもよくわかります。

また、発信者が限られた発信枠(ページ数、文字数、番組時間)で伝えられることも限られています。

この世の中はキュレーションされていない情報が多分に氾濫しています。

発信者がどの分野の専門家であるのかを見極める力、その主張がその人の専門内なのか専門外なのかを見極める力、何が科学で分かっていて何が推測による意見なのかを見極める力、専門外の分野でも、科学で証明されていなくても、他の視点から見た時にどう見えるのか、自分自身の感覚を信頼する力。

情報の中には、忙しい専門家の会話から文字を起こしたものが 十分に校閲されることなくそのまま出版されたりもしています。 専門家からの情報であっても玉石混交のこの世の中、一つの視点ではなく、木を観たり、森を観たり、地球を観たりしながら情報を判断していくことが大切です。

自分自身は、分子科学も環境科学も大好きな分野ですが、ミクロなことであれ、マクロなことであれ、そこで発見したことは、実際に生活している世界に照らし合わせ、どのように現象として現れているのか、を考えてみるようにしています。

それが栄養の話であれば、最低でも自分のカラダで試します。そしてディスクロージャーを行い同意をとりながら、子供のカラダでも試しています。

食品ですから、間違ったとしても、薬のような大きな副作用があることはありません。何かわからないものに出会ったら、粗悪なものではない限り、まずは食べてみて、自分のカラダが何を感じているのか、自分自身に敏感になってみませんか。

頭で考えることも大切です。でもカラダで感じることを忘れないように。

これは自分自身への日々の戒めの言葉でもあります。

利益相反の開示

私はココナッツの栽培、ココナッツ製品の生産・販売を行っています。

N Engl J Med 2006; 354:557-566
10.1002/cbdv.200800125
Biochem. J. (1992) 285, 557-56
J Steroid Biochem Mol Biol . 2002 Oct;82(2-3):233-9.
Biochem Biophys Res Commun . 1995 Sep 25;214(3):833-8.
Comparative Study Steroids . 2005 Dec 15;70(14):974-9.
Medicinal Chemistry Research volume 26, pages1550–1556(2017)
Ecancermedicalscience. 2015; 9: 585.
Reprod Biol Endocrinol. 2008; 6: 57.
Coconut Biotechnology: Towards the Sustainability of the ‘Tree of Life’ pp 17-27
https://doi.org/10.1016/j.tem.2013.09.002
Niger J Physiol Sci. 2019 Jun 30;34(1):69-75.



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